帰り道、空に月がないとちょぴり寂しいおもいをするのは私だけだろうか。それにしても、大雪だというのに、長閑で肌に優しい気温がうれしい。5歳の娘をひとりで育てているという母親とときどき話をする。すぐにけんかになるのだという。しまいには手を挙げてしまうとも。「子供のペースを尊重してあげたらどうですか?」とわたし。でも結局、片付けるのは私だもの、というので、「本人が、困って片付けないといけなくなるまでほおっておけばいいのでは?」と、子供もいないのに偉そうな返答をしておいた。向こうの方が4つか5つ年上なのに、どうも私には話しやすいらしい。ほかの人がいたら、こんな話はしないのだけど。保育園の時の私など、泣き虫、弱虫、意気地なしの3拍子揃った“あかんたれ”で、親に逆らった記憶などちっともないのだけれど。勿論、親に手を上げられたことなど一度も無く、でも、学校に上がったら、いっつも先生に拳骨もらっていたけどね。と、付け加えておいた。


「男のリズム」の中で、池波正太郎さんが、「人の一生というものは、まだ物心がつかぬうちの、生まれてから三、四歳ごろまでの生活環境によって、ほとんど決定づけられてしまうそうな。」と書かれている。たぶん、ひとのやさしさは、なになにをしてもらったから代わりになにをしてあげようというような(お金と同じような)ものではなく、無条件の愛情とか親切とかをもらっているうちに、自然にひとにもしてあげようと思うもののような気がする。そんな意味では、思いやりとか我慢強さとかは、幼い頃とそれほど変わらないのではないだろうか。気が付いたら、もっているもの。ひょっとしたら、持って生まれたものもさらにあるのかもしれない。愚痴や文句を言う人というのは、その人の会話の大半が気が付くとそれで終始してしまっているように、その習性だけは終生(!)変わらぬものなのかもしれぬ。ものすごくスマートで忍耐強かった父のそれにはとても及ばぬが、でも、母の血筋を受け継がずに済んだことは、私にとってとても幸いなことで、(それでも、時折その母の聞き役を務めねばならぬのは、これも人生の修行なのだろうか。)ともあれ、80歳の母に向かって、「老いて、出来なくなったことを数えるよりも、まだ出来ることを数えたほうがいくらいいかしれない」と生意気なお説教をしている娘なのである。(と、ほかではどこでもいえない苦い愚痴をここにこうしてこぼしている。)


先の著書の中に、「家族」と題した一節があって、戦争より病気より怖い(その母の)愚痴をこぼされ、滅入ったこころのやり場を求めて、開いたそのページには、ほんとにいいことが書かれていて、気が付くと、空腹も寒さも忘れて夢中で読んでいた。こういう時間をしあわせというのだ、とつくづく思う。「たとえば、近年の中・老年層は、映画一つ観ようという気持が失せてしまった。読書のよろこびも失ってしまった。音楽を聴く余裕も消滅した。むろん、大人のすべてがこうなったわけではないが、そうした大人の芸術の世界が、一般の中・老年層から遊離してしまったのである。その結果、大人までが『子供じみてきた・・・・』のである。」著者の祖父は、飾り職人だったが、孫(著者)を連れて、美術館へ画を観に行ったり、芝居や歌舞伎に出かけていた、と。「愉しみは、何もしなくてもひとりでに向こうからやってくるものではない。自分で見つけていかないと」と、これは私が母に言った台詞。まぎれもなく、私には大正生まれの(父の)血が色濃く流れているみたい。こんなに氏の話に共鳴できるのは。