ほんに、改めて、奥が深いなぁ~としみじみ思った。たとえ、遊びとて、否、遊びだからこそ、全身全霊を込めて真剣に遊ばないと失礼に当たる、というようなことを、池波氏か遠藤氏がどの本かでおっしゃっていて(どちらか判然としないとというのも、誠に失礼極まりないことなのですが。。)、なるほど、その通りなのだろうなぁ~、とわたしなどにはとうてい、わかりようもない、領域の話なのだと知りつつ、それでも、深く感銘を受けた。だから、それは、数字にはいくら拘らないとはいえ、決してひとつひとつを軽く扱ってはいけないということへの戒めなのだと、改めて肝に銘じた。
さて、ゴルフ。例えば、もし、3分の2がフェアウエイに行き、そのうち半分がパーオンして、載らなかった残りも半分が寄せワンに成功すれば、30台なのです。簡単ではありませんか。ただし、バーディがない場合、外した残りはボギーでないといけないわけですが。と、まあ、机上のようにはいかないのが、その面白いところでして。バーディパットだとあんなに燃えるのに、とりあえず載せた3打目だったりすると、漫然と3パットしてダボ、というのもよくある話で。50ヤードがビたぁ!と寄って、OKだったりすると、もうそれだけで満足しちゃったり。ファーストパットは全てカップを越えて打つことができたら、それだけでよしよし、と思ってしまったり。バンカーの寄せワンが決まっただけで、もうむちゃくちゃ嬉しかったり(それが、たとえ、アプローチを失敗して入れた砂場!だったとしても)。
ひょっとしたら、ただのやせ我慢なのかもしれないけれど、資格のあるゴルファーでなくてほんとに良かったと思ってしまう。もし、そうなら、パールートを外した攻め方なんて出来なくなるし(もちろん、それでもスコアをまとめられる実力があれば別ですが。)、もし、外れたときは、すかさず軌道修正、の良い子ちゃんにならないといけないし。かつてひとりでバッグを担いで、夕暮れのコースをまわっていたころ、36だって38だって出したことはあるけれど、それがほんとに魅力的な内容だったかといえば、全然そんなことはなかったし。常にミスすることを恐れてばかりいたような気もする。現役時のようなパワーヒットはとても出来ないけれど、今出来る範囲で、愉しく遊び、トライし、失敗もする、という意味ではずっと、有意義で可能性のあるゴルフなんじゃないかなぁ~と感じられるのが嬉しい。ただ、後半、どうしても集中力が落ちて、内容にメリハリがなくなってしまうのが、課題だろうか。一打一打、一語一語、かたときも忘れたことがない熱い気持ちをもっとちゃんと表現しないといけない。そう、叱られた気がした。