改めて、忘れがたいシーンを思い起こしてみた。何といっても一番嬉しかったのは、87年。日本一は果たせなかったが、監督4シーズン目にしてついに手にしたペナント。歓喜の美酒に包まれるシーンが表紙の月刊誌の特別号は今も大事にしまってある。ほんとにこれでもかこれでもかというほどの内容だったように記憶している。投手起用などをめぐっていくつもの非難を浴びた苦しい年を越えての頂点だっただけに、喜びもひとしおだったに違いない。あれから、20年。別のチームの指揮官としていようとは、当時、ご本人も想像さえされていなかったのではなかろうか。だから、というわけではないのだが、ここ数年、プレイオフに泣かされてきたこともあるだけに、個人的には氏のチームの逆転Vをちょっぴり願わないでもない。“有終の美”。この言葉がふと頭をよぎる今日この頃である。


とはいえ、やはり肝心なのは扇の要。昔も今も、常勝チームには、傑出した頭脳の女房役が不可欠で、やっぱりそこらへんが、勝負の鍵を握るのかしらとかく思う。貴重な人材を(海外に)失って、戦力を奪われたチームと、それなしでも堅実な戦力を育ててきたチームがあり、そして、それらを乗り越えてチーム力の再生(復活)に成功したチームがある。今年は思い入れのあるチームが参戦しているだけに、得意の山勘を冷静に当てられそうにもないが、81年のシリーズカードが再現するかなと思っている。(願っているのは、西と東の新旧対決だけど)。ともかく、初の完全クライマックスシーズン。今後を占う上でもきっと大切な年になるのだろう。きっとたくさんのドラマが生まれるだろう、素敵な試合たちを楽しみに待っていたい。(なんだか優等生の作文みたいになってしまった。。)


ところで。なんでも男たちの夢は、一度は指揮官になることだという。どこかで読んだ。つまりは、将棋の駒ではなく、それらを使う棋士になるということか。10手どころか、2手先も読めないし、かろうじて出来る五目並べも挟み将棋も、父にまったく歯の立たなかったわたしには、ふ~ん、そうなのね、ぐらいにしかわからない。その前に、盤上の駒には、とてもなれそうにもなく、おんなには、理性的な社会的動物(機能が)欠けているのよねとつくづく思う。それより、わたしは、いつも陽だまりのある縁側にどっしり構える(寝ている?)碁盤だろうか。いやいや、いつでも主を温かく迎えるロッキングチェアーがいいな。などと、思っている呑気者。


そうそう。いつかどこかにこんな記述もあったっけ。「男たちは女たちに己の能力を示し、イエスと言ってもらうために、文明を築き、破壊してきた。すべては女のためなのである」そうである。つまりは、スポーツで頑張るのも、マネーゲームで稼ぐのも、選挙に出るのも、研究室に閉じこもってノーベル賞を目指すのも、み~んな突き詰めていくとその根源は女のためなのだと、そこにはあった。ここまで、明言(迷言?)されると、あっぱれな気もするが、それはこちらが女だからで、男だったら少しがっかりするのだろうか。ともあれ、離れていても何気ない普段の息遣いが聞こえるだけで、ほんとに優しい気分になれる。と、こんな、お転婆なことばかりを綴っているわたしは、秋の夜長、のんびり読書に耽っていたい。ちなみに、今読んでいるのは、白洲正子さんの「君子は危うきに遊ぶ」(!?)である。