息をひそめて待っている。その瞬間を。その待ちに待った瞬間を。といったら少し大袈裟だろうか。

秋は深い。そんな秋をずっと想ってきた。いや、今も想っている。もどかしいほどに。秋のない暮らしなんて、人生なんて(=春夏冬中!?)とても、考えられない。もし、人生を季節に例えることができるなら、なるたけ長い秋をもちたいものだと、つくづくおもう。日は短く、葉は枯れ落ちる季節だとひとはいうかもしれないけれど、それでも色豊かに実る秋、日々繊細な表情で深まる秋を、わたしは愛したい。月が綺麗に見える季節、風がやさしく澄んで吹く季節である。「和のこころいつまでもと月に願って」。なんて素敵な句なのでせう。そんなささやかな暮らしを持つことができたら。。。(想いがつまりすぎると、ことばは、ことばというものは、うまく紡ぎだすのがとてもむずかしくなるものらしい。)


余談だけれど。先ごろ。8時間しゃべり続けることになった。それも9時間のうちの8時間である。ひとり、15分で、合計31人。わずかの休憩があったものの、ひたすらこちらがしゃべり続けている状況には変わりなく、さすがにしんどい一日であった。8時間ぶっ通しなんて、バイクのレースじゃあるまいし、とちょっと思った。そして、いつか訪れた大学病院の外来で会った若い勤務医の疲れ切った表情が、ふと思い出された。先生とは、先生という仕事とは、多かれ少なかれ、みなこんな大変を引き受けているのかしらと思って、改めて敬服を感じた。神の手を持ち世界中で年間何百という手術をこなすという、脳外科医福島孝徳氏の姿がふと浮かんだ。先生とは、相手の喜ぶ顔をつくるために、来る日も来る日もただ黙々と同じ作業を繰り返す崇高な役割をもつ人たちをいうのだろう。(かくいうわたしは、愛する家族に料理を作り、あとはただ、紙とえんぴつと本のある暮らしがいいなと願っているとても不届きなオバサンなのだが。。)