「最悪の自分になったことある?」。質問は続く。「パンドラの箱のように、自分の中のごう慢で嫌味な部分や悪意が外へ飛び出す。相手にあおられるとさらに容赦なくやり込める。そんな鼻持ちならない奴に。」と。そして、それに嫉妬するくらいよくわかるけど、それを目の前にすると頭の中がブランクになって、言いたいことが何も言葉になって出てこないという彼女に、「毒のある僕の舌を君に譲れたら、僕は温厚になれて、君は悪たいをつける。だが、忠告をしよう。腹にあることを全部吐き出すと、必ず後悔の念に襲われる」。これは、とある、映画の中で展開される会話の一部。身に沁みる台詞である。「後味の悪さったら」ない。毒を吐くのはよくない。吐けば、一時はスカッとするかもしれぬが、吐いた自分がその毒にやられてしまうかのように気が滅入る。ほんとにただ、むなしいだけである。
「~/人は多分救いようのない生き物で/その生涯は/赦すことも赦されることも/共にふさわしくないのに/~」
「~/生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ/世界は多分/他者の総和/しかし/互いに/欠如を満たすなどとは/知りもせず/~」
「~/ひとが/ひとでなくなるのは/自分を愛するのをやめるときだ。/自分を愛することをやめるとき/ひとは/~/世界を見失ってしまう。/~/お前にあげたいものは/~/かちとるにむずかしく/はぐくむにむずかしい/自分を愛する心だ。」
「生まれることも/死ぬことも/人間への何かの遠い復讐かも知れない/~/確かに/それゆえ、男と女は/その復讐が永続するための/一組の罠というほかない/~」
「他人を励ますことはできても/自分を励ますことは難しい/だから――というべきか/しかし――というべきか/~/すこしの気恥ずかしさに耐え/すこしの無理をしてでも/~」
並べすぎると、かえってひとつひとつの重さがなくなってしまうことに気が付いた。入らなくてもいい迷路に自ら入り込んで、悩まなくてもいい事柄に、右往左往しているような心模様。芯(信)は、全く揺らいでないのに、それなのに、宇宙に向かって疑問を投げかけたくなってしまう夜もある。「時々、人生を考える。とてもささやかだけど、わたしにはとてもかけがえのない人生。ではなぜ?多くを本から学び実体験に乏しい人生(これは)間違った生き方?答えは不要よ。深遠な疑問を宇宙に放っただけ。」先の、映画の主人公みたいに。。。やはり、おんなごころの表層!は、あきのそらなのかもしれぬ。(とるにたらないセンチメンタルである。だから、真摯(紳士?)の読には及ばず候。)嗚呼、せっかくの十五夜だというのに。ウジウジ、クヨクヨの虫が鳴いている(:_;)