誰が言ったか知らないけれど、秋の空が変わりやすいなんて、一寸異議申し立てたい気分である。透き通るように澄みわたる空、一点の曇りもない空を見ているだけで、こちらのここまで綺麗に洗い流してくれるように思えてくる。空気が綺麗な時節の、夜景や月はどうしてああも美しいのだろうか。まさに、これから日一日と中秋の名月に向かう上弦の美しさよ、である。


時に。ついに卵子だけで生命が作られるようになったという。よもすえ、とまでは言わないが、それにしても科学の進歩はほんとうに純粋に素晴らしいことなのだろうか、と、疑問を投げかけたくなってしまう。自然回帰、スローライフが謳われる昨今、一方で、人類の技能は自分で自分の存続を脅かす皮肉に陥っているように思えなくもない。例えば、石器時代や縄文のような太古の時代に、果たして同性しか愛せない嗜好をもった人はいたのだろうか。あるいは、サルやオランウータンにはいるのだろうか。もし、遺伝子レベルでの異常が原因のひとつであるとするなら、それもいわゆる現代病(科学病)のひとつではないか。退治しても退治しても次々現れるその種の人たちに、いささかげんなり気味のこの頃でもある。(カミングアウト出来ないような中途半端な人たちが一番厄介で、いきなり背中から抱きつくフトドキ者がいるかと思えば、無言でやたら周囲を動いてみたり、はたまた、こちらが気付いてないとでも思うのか、気持ち悪いほどずっと視線を投げて来たりする、陰湿派までいたりする。男たちでも同じなのだろうか。とにかく、不愉快極まりない。だから、まっとうな!女たちはそんな人たちを牽制するために、わざと派手に「あの男性がかっこいい、いやこっちのほうがいい」などと(ほんとはどうでもいい)話をし、お宅たちとは相容れないのよ、とほのめかす。考えてみると、実に涙ぐましい「配慮」である。ところが、中には、どっちもOKというつわものや、結婚して子供までいる母親なのに、ほんとは~という人までいるから、まっこと恐ろしい。)


だから、異性の友達が多いというのが素敵な人のバロメーターであるような気がするのだが、どうだろう。ユーモアやバランス感覚、色気、品(格)、節度などなど、つまりは魅力のある人といえるから。安心感のない異性を友人にしようとはまず思わない。特に、女たちは直感と嗅覚に優れているから、下心をオブラートで包めないような非紳士には決して近づかないし、あるいは逆に、ずっと恋人のいない人と聞くと、つまりは、先輩の女性方が誰も選ばなかった人(だから気をつけよ)、ということになるのである。(ちょっと言い過ぎたかしらん。)