「晴れ」、「くもり」、「焦がれ」、「騒ぎ」、「詰まり」、「つかえ」、「つぶれ」、「突かれ」、「打たれ」、「響き」、「焼け」、「いたむ」。はたまた、「空(す)き」、「踊り」、「弾み」、そして、「届き」、「受け止め」、「なでおろす」。ほんに、胸は、実に表情豊かで、繊細な喜怒哀楽の窓口(源泉)である。こころにとっても、からだにとっても、とても大切な場所なのだ。静かに、深く息を吐き出しながら、改めて、胸元を見つめた。限りなく、透明に近いブルーならぬ白であった。(∵確定するのは、一ヶ月以上先であるが、わずかに残った記者根性!?で、技師からこっそり結果を聞きだした)
当世苦(労)性気質なのだろうか。ともあれ、ひと安心と分かったのだが、ほんに、さまざまなことを考えた。「一抹の不安」というものは、じつに軽やかに羽ばたき、胸の中を縦横無尽に駆け回るものである。どこで何をしていても、どこか上の空で、見える景色も、感じる風情も、いつものそれとは微妙に違う。こころここにあらず、である。大丈夫と分かった後でも、なお感じる、胸の奥の感慨。しばし言葉に詰まる。(大袈裟、人騒がせ、ひとりなんとかと叱られそうだが、「生きる」ということ(の意味)が、突然胸に迫ってきて、愕然という感に包まれたのだった。)
それにしても、想像力豊かな!?オバサンには困ったものである。(でも、オバサンは、最悪のことを一度覚悟してしまうと、なぜだが自分でも驚くほど度胸が据わるというか、冷静になれるとも思うのだが。。それは、先にとっておこう。。)なぜなら、やっぱり、生まれた以上、子孫を残せないということはこの上なく悲しいことではないだろうか、とか、それは決して自分の老後がどうの、自分のお墓がどうのではなく、今の自分のルーツである先祖を敬い祀るひとを絶やしてはいけないのだ、とか、それでももし、治らないのなら(仮に黒でも不治ではないのに。まったくであるが)余計な費用はかけまい、と、そんなことまで考えているかと思えば、やっぱ入院となればタクシーだよね、とか、どの本を持っていこうかな、と、まで、実にひどい。(軽率さを深く反省した。)
何はともあれ、今回のことで、深く納得しわかったことは、「老いる」ということは、実に素晴らしいということである。もし、若くして病を得てしまえば、老いたくても老いられないのである。老いることが出来るということは、たくさん「生きる」ことが出来たあかしなのである。だから、老いを嘆くということは、とても贅沢なことなのである。(これとて、実に生意気な言い草なのだろうか。仮に、30年か50年後の自分が読んだら、何を分かったようなことをと、思うのだろうか。)「どうやって死んでいったらいいのだろうか。そればかりを考えている」。そう書き遺した偉大な先人(の言葉)に胸を打たれた。きっと、精一杯胸を張って生きてきた人だからこその、せりふなのだろう。いつかくる晩年、そんな風に言える人になれたら、胸の奥でそう思った。