「山のあなたの空遠く/『さいわい』住むと人のいう/噫、われひとと尋めゆきて/涙さしぐみ かえりきぬ/山のあなたになお遠く/『さいわい』住むと人のいう」。上田敏氏の訳詩集「海潮音」を、紹介しているのは、仏像を観るという本を著している紀野一義氏。天を支えるように持ち上げられた二本の腕を持ち、少年を思わせるような少女の顔をした第一の顔、ほかに、力なく垂れ下がった二本の腕と、合掌する二本の腕、そしてそれぞれに一つずつの顔をもつ仏像を見ていると思い出される詩として紹介されていた。表題には男の悲しみとあった。


もし、日本語に一つだけ注文をつけたいとしたら、「頑張る」という言葉である。ものすごく多くの意味を持たせることが出来る代わりに、もっと具体的に表現できる別の語句がなかなか見当たらないことだ。だから、深く、心を込めて言っていても、字面はいつも同じになってしまう。それが悲しい。たとえば、「無事でいてください」とか、あるいは逆に「あんまり頑張り過ぎないで下さい」とか、「つらいときは、踏ん張って、楽しいときは、思いきり楽しんで」とか、こんなそんなをひっくるめて元気でいてください。というようなことを言いたいときに。ほかにどんな表記があるだろか。それを敢えて無理に言葉にすると、「I Love You」を「わたしはあなたを愛しています」というような、およそ普段の日本語の響きに全然そぐわない言葉の連続になってしまう。いつも頭を悩ますことのひとつである。


夕方、壁に向かって一人キャッチボールをしている。そこには、ストライクゾーンが白いチョークで書きいれられている。調子に乗ってくると、10球続けて枠の中に投げられたら合格、なんて自分に課す。もし、9球目に外れても、10球目に外れてもまた最初から。そんなことには、なぜだか俄然燃える性質らしい。途中で、母から「ご飯」と叫ばれる。でも、決まるまでは止められない。一度、自分の中で決めたことは、きりがくるまで我慢しないといけない。誰に言われたでもないのに、どうしてもこだわりたいことがある。多分、子供の頃のそんな想いのような、(ひそかな)決め事は、だれのこころにもあるのだろう。思いの丈が深いほど、きっとそうなのだろう。遠藤周作氏が書かれた「恋愛とは何か」。その文庫の初版は生まれた年だった。手にした10数年前発行のそれまで70もの版を重ねている。驚きである。続けることの偉大さ、強さ、そしてやさしさを感じないではいられない。