それは、ある夏の昼下がり。場所は、ドナウの源流のほとり。母なる川がまだ母になる前の小さな流れを湛えている地方である。川沿いに続く一本のサイクリングロード。舗装の無いデコボコに時折タイヤをとられそうになりながら、ペダルを漕いでいると、緑の多い川原のそばに、2台の自転車。きちんと停めるのももどかしいように、折り重なるようにして乗り捨てられている。あ~、これが映画だったら、この先で若くて綺麗な男女が裸で~と、ふざけた想像力に苦笑しながら、やおら視線の先を、木漏れ日が燦々と降り注ぐ川の方へと向けてみると。なんと、まあ、である。そのまま、何も見なかったかのように、ペダルを漕いで通り過ぎたのは言うまでもないが、なぜか周りの景色に溶け込んで、不思議と猥雑な感じがしなかった。旅をすると、いろんなことに遭遇するものである。もう、8年以上前のことだけど。サマセット・モームが、作家は旅をせよ、人間を観察するには旅行ほどいいものはないと説いていると、清張氏が、昭和36年発表のエッセイのなかで語っている。
初めて、テネシーワルツを聴いたのはいつだったろう。中学生、否高校一年のころだったか。当時、日曜日の午後9時から、東芝がスポンサーのドラマ枠があった。一話完結で、男女のささやかな機微を描いたものが多かった。ある回で、(確かいかりやさんが主演だったように思う。)テネシーワルツが印象的に流れた。はじめてなのに、初めてのように感じない、懐かしさと安らぎを覚える音だった。早速、田舎町の駅前にあるレコード店を汽車に乗って訪れたが、どーしてもレコードが見つからない。やむなく尋ねると、「50(歳!)代のBGM」というカセットテープに収録されていることがわかった。テレビの中のように針を落として聞けないのが一寸残念だったのを覚えている。もちろん、今でも大好きな曲のひとつである。(そのテープに入っていた、「雨に唄えば」もすっかり好きになったのだったっけ。)
あるころ、土曜日はいつもと違う新聞を買っていた。(駅の売店のおじさんが、あれ?と言う顔。)それは、あるエッセイを読むため。タイトルは「あくゆう書く言う」。例えば、英語教育について。「どうしゃべるかにのみ重点を置くと、何をしゃべるかが欠落し、流暢にして空疎な饒舌の子が生まれはしないだろうか。」「傾向としてはもう二十年になるか、古きを知らないことが、あたかも新しさの証明のように、無知を勲章にし、財産にしている人たちが増殖している。」「言葉は道具ではなく、思考であり思想である。日本語できちんと覚えたことは、言葉であると同時に、歴史そのものを脳内に積み立てたことになる。」「本流をつくってから支流を作らないと源流を知らない川になってしまう。」この欄のためだけでも、わざわざ買う価値は十二分にあると思った。そして、昨年8月10日付け日経新聞夕刊。氏が語る昭和懐旧が掲載された。(時に、時は残酷である。)「昭和三十年代までの小説や随筆はいい。最近の小説は、あまり読もうという気になりません」とある。故郷の島から、船にのって単身上京するときに口ずさんだ歌がテネシーワルツだった。そのことが、その後の自分の方向性を決めたように思う。氏が、あるときそう述懐していたと、最近耳にした。“歌謡曲は3分間の小説”と先の記事の見出し。星の数ほど珠玉の詩(うた)がある。