信じる風は美しい。かっこいいとは、見えないところでその信念を、その矜持をもってスタイルを守っている人のことをいうのだろう。およそ、漠然とでも、そういう空気は風を通じて伝わるもの。行間を通じて滲み出るようなもの。立ち居振る舞いの中の小さな仕草のなかに垣間見えるもの。そんなこんなをひっくるめて、かっこいものはこの上なく素敵に映る。それを表す言葉を探すのがもどかしいくらいに。
仕事の流儀を紹介する番組がよく目に付く。世間でも、かっこよさとは何かについて、を求めているのかもしれない。ただ、忘れてはいけないのは、そこに紹介される素敵は人たちは、みなそれぞれに自分の頭で、からだで悩んで、いくつもの失敗を繰り返してそしてはじめて手にした言葉なのだということ。その究極の上澄み液たる言葉だけですべてをわかった気になるのは、おこがましさが過ぎるのかもしれない。これまで、下積みはおろか、努力らしい努力などしたことのない自らを省みて、身を律することの大切さを教えられた気がする。
人を酔わせるもの。(枕草子ふうに。。)お酒。ギャンブル。恋。舞台の上のスポットライト。そして、選挙(政治?)と宗教かしらん。つまりは、陶酔性のあるもの、かな。つまりは、いつかは、醒めることがわかっていても酔わずにはいられない魔力があるのだろうか。でも、どこかさびしい。最初の2つは全くしないので、さっぱりわからないし、正直どれも興味が無い。燃えない。ともいえる。たとえば、詩や詞、絵画や彫刻などの芸術も陶酔~といえなくもないが、内なる叫びが作の動機である点で、もともと見返りを求めていない点で、違う。だからこそ美しいのだろう。つまりは、愛と同じ。(なあんて。要はこれがいいたかったのだ。)
一日遅れの満月の光を浴びながら、心地いい夜風を肌に感じたくなって、颯爽と!?15年愛用の自転車にまたがる。朝の10時と思ったら、夜のそれだった。というのは半分冗談(に聞こえないところが、ピン呆けもいいところのわたしの怖いところなのだが、それはさておき。)で、早版の地方面が刷り上っているころに朝刊を買っている自分に、褒められない休日をちょっぴり悔いる。(家から、3番目に遠い、緑と青のそのコンビニには、どんなに遅くなっても最低一部は残っている。ありがたきかな。ともあれ、店ごとの売れ方の違いははっきりしており、うまく把握できればあと3倍は売れるのに、と余計なことを思ってしまう夜更けかな。)