「風物詩」をよく耳にする。ラムネ、風鈴、花火、蛍、浴衣、ビードロ、などなど。あと、甲子園もかな。辞書で引くと「けしきや季節をうたった詩」のほかに、「季節の感じをよく表しているもの」とある。すると、冬の風物詩、春の、秋の、もあるということか。それらはあまり聞かない気がする。やっぱりそれが最も似合うのは夏。高温多湿の風土にあって、いかにそのなかに風流を見つけるか。古くから、そんな工夫がずっとされてきたからなのかしら。日中の炎天下にさらされているとき、あの「氷」と朱色で書かれた揺れる小旗がなんと魅力的に見えることか。ひんやり氷と甘~いシロップの味が浮かんで、思わず喉の奥が「ごくり」となってしまうもの。夕暮れ時、ひぐらしが鳴き始めると、暑さが和らいだことにホッとする反面、どこか少し寂しい感じもする。盛夏に、どこか人を酔わせる(魅力的な)響きがあるのは、そんな様々な表情を内に秘めているからかもしれない。確かに、去年とは違う夏があり、そして来年とも違う夏になる。そう実感すると、一日一日がとても大切な時間に思えてくる。
ゴルフを辞めて2年。上着のサイズがひとつ小さくなった。私の場合、標準よりも肩と腕の長さがネックになって、いつも上と下のサイズが揃わなかったのに。気がつくと下と同じサイズになっていた。半そでだと、さらにワンサイズ下でもOKになって、ひそかに感激したものだ。もしかすると、齢とともに骨も小さくなっていくのだろうか。私にはとても嬉しいけれど。と、いいつつ(一寸矛盾するけど)、週末の昼下がり、愛読書と飲み物を手元に置いて、50ヤードを打つというのがひそかな愉しみになっている。(正確には、打つ合間に読むというより、読む合間に打つという感じで。。)。ひとつにはフルショットがからだに堪えるから。で、もうひとつは、(私見だが)とても難しい(距離だ)から。ショットのためのすべての要素が入っていて、全くごまかしがきかない。30ヤードが(きちんと)打てたら(いつも)90が切れるでしょう。50ヤードが完璧なら80が切れるでしょう。そして、40ヤードがきっかり打てたら70が切れるでしょう。これ、私の見解。全然、完璧ではない私は、だからいつも80台。
テレビのニュースが、またさらに平均寿命が延びたと伝えている。男女そろって、世界の一位と二位だとか。それにしても、「平均」なんてだれのものでもないのに、全員がその恩恵に預かれるように聞こえるところが、可笑しくもあり、ちょっと怖くもあり。時間が延びるというのは、確かにありがたいことだけど、要は、長さではなく、中味(内容)なのではないかと、改めて思う。スコアだけで、その人柄や中味が決してはかれないのと同様に、大切なのは、何を考え、何を思って、どんな風に味を出して磨いていくかということだと思うのだけど。ゴルフだってそうなように。ゴルフを始めて2ヶ月で、腰を壊した。ゴルフはおろか、この先ちゃんと歩けるかどうかさえ分からなかった時、ひとしきり落ち込んだ後、とにかく今しかできないことをしようと、それまでに買って読んでいなかった本を片っ端からひたすら読んだ。読むことに没頭した。お陰で、今の“読み方”への素養が鍛えられた気がする。どんなことでも、無駄なことはなんにも無いのだ。きっと。(なんだか、今日は柄にもなく“真面目”なことを書いてしまった。これも暑さのせい、ということにしておこう。。。)