ある休日のこと。いつかのアジアサーキットをご一緒した先輩から、しばらくぶりの連絡があり会うことになった。国内でも最高ランクのレッスン資格をお持ちの女史。ステイタスのある有名練習場で100人を越える生徒を持っている。でも、辞めたいのだそうだ。20年続けた“現状維持”をリセットし、0からスタートしたいのだという。遠まわしに、“事業”を手伝わないかと言われたような気もするが、こちらもやんわりとお断りしたつもり。無論、わたしにはほんとうに大切なものがあるから、とは口にだして言わなかったけど。人によって価値観はさまざまだけど、お金や名誉やステイタス?なんかとは比べ物にならないくらい大切で貴重なものがある。とわたしは思う。人と争うことでしか得られないもの(だけ)では、永遠に心の滋味は増やせない。話を聞きながらそんなことを、心に感じていた。
でも、とにかく「変わりたい」と、必死で英語を勉強する彼女のその姿勢には、とても感心したし、刺激も受けた。そして、なんだか、成り行きで、DoとDoesの違い、自動詞と他動詞の違い、人称代名詞に、現在進行形、be動詞と一般動詞の違いなどなど、超要点速攻講義を引き受ける羽目になったのだが。。。まあ、それはともかく。それにしても、英語とゴルフ。これほど教える産業が盛んなものがほかにあるだろうか。つまりは、それだけ上達が難しいということかしらん。それらを融合させて簡単明快なツボを伝授できれば、間違いなく“儲かる”だろう。でも、しない。そもそも、わたしには“商魂”というものが完全に欠落しているから。ただ、英語について。所詮は言語であり。手段である。でも、侮るなかれ。そもそも日本語があまりに特異な言語なのだ。それでも、母国語を大事にしないで、英語をマスターするのは難しい。私達は日常会話レベルの日本語を話しているけど、ニュースも分かるし、新聞も読める。それではじめて日本語の日常会話が出来るのだ。英語もしかり。まず日本語を本当に理解して話して読んで書くということがどれほど難しいか。言葉はセンスであり、考える力を支える筋肉でもある。日々、鍛えているつもりでも、全然磨きがかからない。僭越ながら、ふとそんなことを考えた。
さてさて。そんなことより、読んで書くことに夢中のわたし。塩野七生さんの「男たちへ」。海外経験豊かな人の眼を通して語られることは、どれもとても興味深い。目線、視点、観点のツボを刺激してくれる。う~ん、あと50年ぐらいしたら、わたしもこんな風なことが(平然と!?)語れるようになるのかしらん。なあんて、思ったり。ときに。「おんなにとってと家庭とは/おとこにとっての仕事と同じ/とても深くて大きな大切なもの/だから男の人をおもうとき/おんなは家庭をおもうのとおなじくらいに/その仕事の大事さを思いやり/そしておとこも仕事の重みと同じくらいの/大きな心で家庭を思ってあげられたなら/どちらにとっても一番大事な“家族”のこころが満ちてくる」。ちょっと綺麗すぎたかな。「心の処方箋」という本に、ひとりでもきちんと生きられる大人と大人が互いに助け合い思いやりあえるから美しい、というようなことが書かれていて、とても深く記憶に残った。