私の記憶に間違いがなければ、うちの愛犬は我が家に来て今年で16年目を迎える。驚くほどに元気で、こちらが歳の数え間違いではないかと戸惑うほどだ。耳や目や、遊びの仕方などには確かに衰えは見られるものの、食欲、足取り、人の表情(感情)をしっかりとらえるその感性なんかは、5年前とちっとも変わらない。これまた、私の記憶が正しければ、確か、犬の16歳は人間の90歳(に相当する)だったような~。確かに、2食、昼寝三昧。朝夕の散歩は欠かさず、少なくとも、私より栄養のバランスのとれた食事はしているけれど。。。それにしても、まさに、日野原さん級だ。時々、言葉なしでもこちらの空気(気持ち)をわかって、そばに来たりする彼を見ていると、実は月の世界からでも来たやつではないか、なあんて、思ってしまう。


時に、御伽噺や伝説にはどれも真実の怖さなどが秘められているのは周知のことだけど。あの、シンデレラに毒リンゴを食べさせるの魔女は、継母ではなく実際は実の母親であるし(きっと、そのまま書いてしまうと、子供が母親を信じられなくなるから、うまく変えられたのでしょう)。とはいえ、すべての母親がそうであるというわけではなく、恐らく、愛を作れない、愛に恵まれないために、娘の美に嫉妬してしまう人間の悲しいエゴを描いたものなのでしょう。そんな、シンデレラを毒から救う〈救える)ただひとりの存在は、ほかでもない王子様、というわけ。(そういえば、もう下火になっているけど、海の向こうの国の俳優たちに夢中になっている、おばさま方を眺めていて、あ~愛を作れない人はこんなにもいるのかと、ちょっとがっかりしてたっけ。愛は、多分、人からもらったりましてや人から奪ったりするものではなくて、自分の中で作るものだと思うのだけどなぁ~。そして、互いに人にあげるものだと。)


いつか、子供の親になれたなら、そんな大切なことを教えられるひとになれたらいいなと思っている。もし、娘ならそんな、ナイーブでデリケートな話にも耳を傾けてあげられるような、空気をもっていられたら、と。(もっとも、女性には、母親だけでかなり気苦労しているせいで、できれば、息子がいいなぁ~とひそかに願っているのだけれど。)そういえば、小さいころ、いつもひとり静かに(空想の世界で)遊んでいた記憶はあるけれど、本を読んでもらったとかいう、そういう記憶がどうしても浮かんでこない。海外の友人宅の子供たちが嬉しそうに本を読んで聞かせてもらっている姿をみて、ハッとなったこともあった。なぜだろう。単に記憶に霞がかかっているだけなのか。わからない。ただ、かぐや姫の絵本があったのだけは記憶に残っているのだけれど。物語を語る声が聞こえてこない。膝の上や、枕のそばで。そんな優しい声の記憶のあるひとがとてもうらやましい。


ところで。ひょんなことから読み始めたその連載小説の声の行方もちょっと気になっている。すでに物語りは始まっていて、気づいたときには、なくした声をさがして、なんだか正体の知れぬ名前の女性の姿を求めて、ひたすらにずっと待っている。そんな青年(?)の独白にもにた、物語展開のようなのだけど。。。