「相聞(歌)」。確か、万葉集で習った気がする。
さて。はたちを過ぎて、生まれて初めて乗った飛行機の行き先はカリブの島だった。目的は野球。その撮影(の旅)に同行してくれたカメラマンは、太田幸司投手の後輩で、小学校からずっとキャッチャーでキャプテンだったという。山びこ打線の話から、監督の話になり、そして特攻隊の話に移った。その流れで、わたしが当時夢中だった、特攻隊出身のある俳優さんの名前を出したら、へぇー、と感心。すると、ほんとうは名門の実業団チームに就職が決まっていたのだけど、ある番組を見て、「自分もそんな『絵』を撮りたい」と入団直前に翻意、今の仕事に就いた、と話し始めたのだった。その番組が何だったのか、野球への想いがどんなだったのか(今の私なら間違いなく聞いてたけど。。)知るよしもないが、野球(をめぐる騒動)のこと、甲子園から神宮に舞台を移した彼のこと、そんなこんなを考えていてふと思い出した。それから、同じく甲子園の頂点に立ち、プロの指名を受けた彼が、一浪してもうひとりの彼のチームメイトとなっていたと最近知った。岐路に立ったとき、
ひとそれぞれの苦悩があり、決意があるのだろうと、改めて思った。きっと、いずれを選んでも苦しみもあり、喜びもある。大切なのは、きちんと自分と向き合って自分の内なる声に耳を傾けられたか、のような気がする。世間とか、見栄とかいう雑音を遮断して、そうすることが実は案外難しいのだけれど。(とかくひとは、自分のことはさておいて、責任のないひとのことをあれこれいっちゃうものだから。)
ともかく、その海外渡航が、その後の私の価値(世界)観に少なからず影響したのは間違いがなく、ほんとうの真実と演出という名の脚色を使い分けるその世界を垣間みれたのも貴重な経験になった。でも、たとえ古いと言われても、私が選んだのは、やっぱり活字だった。じっくりねかせて、いや樽の中でねかせることをしなければ、あの芳醇な味も香りも生まれないように、文字という名の(書き)言葉でしか表せない(残せない)世界があると信じて疑わないから。どんなに文明が進化しても、ひとの肉声がなくならないのと同様に、活字をのせた紙がなくなることはない。そう信じている。(鉛筆と紙だけで生まれる世界、これがいちばん純粋で、とても素敵な営みではないかしら。古い人間のわたしは、かはらない信念をそうして日々あたためているのです。)
さて。はたちを過ぎて、生まれて初めて乗った飛行機の行き先はカリブの島だった。目的は野球。その撮影(の旅)に同行してくれたカメラマンは、太田幸司投手の後輩で、小学校からずっとキャッチャーでキャプテンだったという。山びこ打線の話から、監督の話になり、そして特攻隊の話に移った。その流れで、わたしが当時夢中だった、特攻隊出身のある俳優さんの名前を出したら、へぇー、と感心。すると、ほんとうは名門の実業団チームに就職が決まっていたのだけど、ある番組を見て、「自分もそんな『絵』を撮りたい」と入団直前に翻意、今の仕事に就いた、と話し始めたのだった。その番組が何だったのか、野球への想いがどんなだったのか(今の私なら間違いなく聞いてたけど。。)知るよしもないが、野球(をめぐる騒動)のこと、甲子園から神宮に舞台を移した彼のこと、そんなこんなを考えていてふと思い出した。それから、同じく甲子園の頂点に立ち、プロの指名を受けた彼が、一浪してもうひとりの彼のチームメイトとなっていたと最近知った。岐路に立ったとき、
ひとそれぞれの苦悩があり、決意があるのだろうと、改めて思った。きっと、いずれを選んでも苦しみもあり、喜びもある。大切なのは、きちんと自分と向き合って自分の内なる声に耳を傾けられたか、のような気がする。世間とか、見栄とかいう雑音を遮断して、そうすることが実は案外難しいのだけれど。(とかくひとは、自分のことはさておいて、責任のないひとのことをあれこれいっちゃうものだから。)
ともかく、その海外渡航が、その後の私の価値(世界)観に少なからず影響したのは間違いがなく、ほんとうの真実と演出という名の脚色を使い分けるその世界を垣間みれたのも貴重な経験になった。でも、たとえ古いと言われても、私が選んだのは、やっぱり活字だった。じっくりねかせて、いや樽の中でねかせることをしなければ、あの芳醇な味も香りも生まれないように、文字という名の(書き)言葉でしか表せない(残せない)世界があると信じて疑わないから。どんなに文明が進化しても、ひとの肉声がなくならないのと同様に、活字をのせた紙がなくなることはない。そう信じている。(鉛筆と紙だけで生まれる世界、これがいちばん純粋で、とても素敵な営みではないかしら。古い人間のわたしは、かはらない信念をそうして日々あたためているのです。)