先人の覚えとはうらはらに、明け方目が覚める。いや、目は開いてないのだが、覚醒している。今しがたまで視ていた夢のストーリー(光景)を反芻し、まだ残る余韻にひたりつつも、頭の半分ではうつつの感覚に引き戻されるのをなかば躊躇い、なかば安堵しながら少しずつ現実の想いを再確認しはじめる。言葉を探して。こんなふうに、穏やかにのんびり始まる朝もあったのねと、和みはじめた朝もやの空におもいをはせる。
その言葉の、ただ名詞の意味しか持っていないと思っていなかった単語が、まるでいまの気持ちを代弁するかのような、動詞の意味をも併せ持つとわかったときの、驚きと悦びはいささか大きい。しかも、機能性と引き替えにどこかしい的なニュアンスを拭えない他動詞ではなく、前置詞なしでは目的語さえ持てないけれど、だからこそ純粋な感じのする自動詞の意味しかないところに、そのいとおしさが増す気がして嬉しい。そんな、他愛のないことをつらつら考える。
筋は、通さなければならない。たとえ、余計に時間がかかったとしても。たとえ、理不尽を知りつつ、損な役まわりになったとしても。そんなことを叫んでいた気がする。夢の中で。
平安の風流人は、実に粋で、なお趣のある和歌、返歌をいくつも残している。倣って詠もうとしてハッとする。少ないことばに想いや情景を載せるには、こころの波は、穏やかな静けさと明るさをたたえていないといけないと気づいて。純な強さと優しさ。和みのある空間はそこから始まるのだろう。たいぜん、悠然でいよう。ふと顔をあげると、もう夕日になった太陽が、なんともいえない優しく柔らかな色と光を漂わせている。