最終回が近い。毎回楽しみにしていただけに、ちょっと寂しい。それにしても、この三つはどうにも苦手だった。凡そ、女の子には似つかわしくないとさんざん言われた。おまけに、好物は、父の好きなからすみだったり、いくらだったり、数の子だったりしたものだから、「この子は絶対酒飲みになる!」と太鼓判まで押されたっけ。見事に、その期待は裏切ったけど。冷蔵庫に入っているもらい物の缶ビールは、料理にでも使わない限り一年でもそのまま入っているし。で、今では、その苦手はまめを除いて大丈夫になったけど、あの小豆色の大きな粒の煮豆だけは、どーーしても苦手のまま。「大人になって食べられないものがあるのは、恥ずかしいことだ」といつか先生に言われたきがするけれど、まあいいか。ひとつぐらい。この先、食べられる日がくるのだろうか。そうだ。納豆もダメなのだった。もっとも、これは完全な食わず嫌いなのだけど。。。
先のことはわからない。だから、明日死んでもいいように、明日できることは今日はやらない!ことにしている。一応。でも、後悔だけはしたくないから、自分の気持ちに正直に生きる、とも決めている。こうして、言ってるそばから、主旨一貫しないのも、これまた人生、なんて言いわけも用意しているのだから、まったく不埒者だ。うまく気持ちや考えを言葉にできないのは非常にもどかしく、つらいことなのだと日々実感している(今もそう)。「書けない」のが一番つらい。ほんものの日記にしても。日記は、少し冷静になろうとしている自分と静かに向かい合って対話すること、なのかもしれない。始めて30年近くたってようやく気づくなんて。なんて、ケイコウトウ。こうして、何とか言葉を搾り出してる今も、なんだかわけもなく哀しい。「いつか、きっとなんとなる」と思うし、かはらないものはかはらないし。でも、でも、でも。「わかっちゃいるけど~」待ちぼうけへの不安が隠せず、つい、弱音を吐きそうになる。どんな、ささいでくだらない言葉でもあるとないでは大違いなのだ。そうか、これは誰にもあてはまることなのだ。自分が思っていることは、得てして相手も思っていること、なのかもしれない。詩人になりたい、ふと、そう思った。まったく、支離滅裂もいいところだ。万事予定通りなのに。