朝起きると、したが痛い。それも奥の方が。いったいどんな夢を見ていたのだろうか。「ファー」と叫んでもいたか。はたまた、早口言葉の練習でもしていたのだろうか。われながら、可笑しくなった。ご飯を食べても少々沁みる。隣人はさぞ、五月蝿いことだろうに。そう、隣人で思い出したけど。かつて、ある時のこと。後から越してきたその隣人は一度もその姿を見せたことがない。声も。しかも、表札も掲げていない。でも、時折、変な物音はするから、いるのは確か。時々、ベランダにはまるで小さな子供がいるような洗濯物が並んでいるけど、子供の声も聞いたことはない。たまに、子供か動物かは不明だが、大人より軽い物体がえらく、忙しく廊下を走る音はする。でも、すぐに止む。また、ある時には水槽のようなものを洗うような音も。そして、いつも入り口の電気のメーターが恐ろしいスピードでまわっている。で、私の出した結論は、「宇宙人が子供を育てている」。水槽の音は、きっと大蛇でも飼っているからに違いない。なあんて、くだらない想像を廻らすのは、このくらいにしておこうか。それにしても、表札を出さないのは、たしかに怪しい。わたしに、もうちっと筆力と建設的な想像力があったら、も少し面白い話が書けただろうになぁ~。宮部さんの「理由」のように!?。
街を歩いていると、ふとした瞬間に、「あっ、これ使えるかも」と思えることに出くわすことは少なくない。推理小説の、トリックや謎解きのキーになるような、場面に。それは、注意深く見ていないと見過ごすようなふとした瞬間にだけど。まるで、「点と線」の列車の死角みたいな。でも、瞬間的にひらめくことは、もう次の瞬間にはどこかに行ってしまう習性があって。だから、そのほとんどを、覚えていない。ゆうべみた夢のように。今度こそ、ちゃんと書き留めておこうとそのたびに思うのだが。。。言葉は書きとめられても、イメージや、ストーリーを書き留めるのはなかなか骨の折れることで、面倒くささに負けてしまう。いけない。ある時、ハンバーガーショップでベーコンレタスなんとかに齧り付いていると、3~40年前にはお嬢さんだったに違いない和服の女性が、大きな赤い箱を隣のテーブルにドンと置いてどこかに行ってしまった。それを見て「これ、きっと爆弾やね」と、すかさず連れの友人に囁いたら、とんでもなく呆れられたけれど。。。もっとも、ひらめくトリックは、も少しましなものですが。。。念のため。小説を書くには、まだまだ修行が足りないみたい。いずれにしても。旋盤は二刃より芳し!?、なのか。