タカエノカオリ、キタノカチドキ、エリモジョージ....。ほんとうに、実在したのかさえも知らないのだが、そんな名前の馬たちが登場する小説に夢中になっている。戯れに解いた、センター試験がきっかけで、知りえた作者であったのだけれど。すっかり、そのなんとも表現しづらいけれど、たおやかさというか、静かな中にも強さとユーモアこっそりしのばせたような、ことばの手綱捌きに感心している。件のタイトルは「いつか王子駅で」というのだけれど。かつて、とても心に残ったとあるドラマの舞台周辺が、あの当時のような情景をもって登場するのも、ちょっと嬉しかったり。それにしても、「文遣い」という言葉があるかどうか分からないけど、言葉遣いとも、文字遣いとも違う、そんなものがある気がする。ときどき、書いている人の表情や、心の顔が垣間見える、そんな文章に出会うことがある。行間を読む、のともちょっと違う。それは、筆遣いや、歩き方や、立ち居振る舞いのふとした刹那に、その人のなにかが、そっと顔を出すのと同じような。


センター試験で思い出したけれど。さらに暇つぶしに解いた、英語のほうは随分簡単に映り、果たして181点。受験時は、あんなに苦労しても8割ちょっとがやっとだったのに。。。なんとも皮肉。やっぱり言葉は、なれなのかしらん。(もっとも、別に特別何もしていないけれど。)それとも、易しくなった?。とはいえ、やっぱり何を理解するのも、考えるのも、日本語でしかできないのだし、ほんとうは、何よりもまず日本語が大事なのだとつくづく感じるのだけど。国語の大切さなのでせうがねぇ~。ほんに、中学時代、国語の先生に恵まれたことにとても感謝している(残念ながら、高校は。。)。改めて。でも、哀しいかな、ことセンター試験に関する限りは、こころで読んでもはじまらないのだ。明らかにテクニックがあり、(一度、模試で193点という幻のような高得点を叩き出したけど)、まるで英語のそれと同じように機械的に解くことを強いられる。(私の場合、マークシートになると、あれこれ考えすぎ、途中で変えた答えはことごとく、最初のが正解!という憂き目に遭っていたっけ。=なにごとも、最初の直感が当たっているのかもしれない。グリーンのラインや、ショートホールのクラブ選択のときのように。。。)ところで、外国語大学にある、日本語学科って、どんなことを学ぶのだろう。ふと、気になった。