ちょっと驚いた。どうしても全文を読みたい詩があったので、図書館にでかけた。(もっとも、いつもぶらりと図書館にいくと、2時間などあっという間にたってしまう私なのだが。。。ともかく)。詩集を集めた棚の前にたち、うろ覚えの作者の名前を目で探す。たしか、頭文字が~。あった。確か、こんな名前だった。で、なにげなく、そのうちの一冊を手に取り、おもむろに中ほどのページを開いてみる。すると、どうだろう。まさに、そのページに読みたかった詩があるではないか。で、驚いた。まあ、それだけのことだけど。何だか、偶然を超えた何かがあるような気がしたものだから、ちょっと印象に残った、という次第。まるで、とくだん、見ようと思っているわけではないのに、何気なくテレビをつけると、いつもその番組をやっていて内心驚く、のとちょっと似ている。見えない不思議って、あんがい、あるものね。


ところで。もうすぐどんと焼きもやってくる今ごろいうのも、なんだけど、お正月に、ハラをたててはいけないのだと、最近になってその理由と、意味をしった。恥ずかしながら。なるほど、聞けばまったくその通り。古くからのならわしや、行儀作法には、それぞれに深い意味があるのだと、しって改めて感心、愕然。どうも、反省の多い今日この頃だ。新年早々、母親と衝突した、自分への自省も込めて。いまだにどうしても、苦手なものがふたつあるとすれば、それは、納豆と母親、かもしれぬ。無論、苦手と言うのは、嫌いとは違う。ためになるのは、分かっているけど、素直に口にいれることが出来ない。「本当のことで正しいことをきつくいわれるとハラガたつものだが~」の詞の通りなのだ。敢えて、口にしない優しさだってあるものを、と、思っていることの120%を口にする母親にときどき、堪忍袋の緒が切れてしまうのだ。これも、まだまだ、修行が足りないのでせうね。正月早々、こころに波風を立ててしまったので、今年の残りは、なるべく穏やかにいよう、そう、自分に言い聞かせている。


詩に目覚めた、というわけでもないのだけれど。こんな詩を見つけた。「久しぶりに祈ろうとしたら/神さまの呼び方を忘れてる/主よ、と呼びかける資格はなし/あなた、は何とも馴れ馴れしいし/やっぱり神さま わたしはだめです 助けてください と本音が出た/他人のことも祈りますから、と謝って/片端から祈ると気が楽になり/一番いやな奴のためにも祈ったら/そいつ分だけ善人になった積りが情けない/しらけて開けた目に粉雪舞ってる/神さま どうか風邪をひかないで下さい」

もっとも、わたしは、だめでも、しらけてもないけれど。。。とくに、最後の一文にジーンとやられる。くしゃみがでるたび、あ~あの人は大丈夫かしらと、思える人のあることを感謝しないといけないのでせうね。えーと、確か、「いいひとと歩けばまつり、わるいひと歩けば修行」だったっけ。ほんとうに、わるいひとなどいないはず、とお人よしにも思っている、けれど。。。