めっきり手紙を書く機会が少なくなった。無論、メールの恩恵は多大に受けているので、こればかりは、アナログ派だからと軽んじられない。、流石に、時流に逆らえない。それどころか、むしろ感謝しているくらい。でも、不思議だ。同じメールでも、内容や書き方で重たさもずいぶん変わる。おまけに、実際の距離さえも自然と感じてしまうのが妙。物理的な距離に応じて内容も微妙に変わってくるあたりが、面白い。機微が入り込む余地があるということかしらん。してみると、どんなに機械が進化しても、言葉を打ち込むのは人だから、メールにも味がでるのかしら。。。相変わらず、絵文字を使うのはどうも苦手だけれど。。。ちなみに、あの絵文字はきっと、「色がある」ことに意味があるのかも。色をうまく使えないのは、確かにあたっているけれど。。。
かつて一度だけ、父が手紙をくれたことがある。気恥ずかしくて、きちんと読めなかった。だから、何が書かれていたのか全く覚えていない。大事にとってはあるけれど。。。受験勉強に右往左往して、こころの居場所が定まらなかったころではななかったか。そんなイライラをうまく消化できずに、苦しんでいた頃。父は何を言おうとしてくれてたのだろうか。ふと、手紙をテーマにしたドラマを見てそんなことを思い出した。いいときは、何もいわず、悪いときも、なにも言わず、ただ、つらいときには黙ってそばにいてくれるような人だったっけ。そんな、すごさに気づいたのは、ずっとずっと後になってからだったけど。。。この年齢で、戦地に出向いた父を持つ人は多くあるまい。だから、いつか聞こうと思いながら、いつかは、こなかった。もし、男の子だったら、何かを言い残してくれていたのだろうか。ふと思ってみたりする。敢えて、決して、戦地での話を語ろうとはしなかった父。ただ、帰ってこれたのは、奇跡だったと、ただ、それだけ言っていたっけ。日米合作のあの映画を撮った監督に、面影が似てきた気がする。無論、親ばかならぬ、子バカもいいとこだけど。。。
年賀状だけは、必ず手書きと決めている。絵や版画を入れた、手作りを始めて干支がふた周りした。手作りも100枚を超えると、とても大変なことになる。最近は、60枚が限度。去年は、ついに間に合わず、幻の版板なったっけ。今年も少々、難しそう(とここで、言い訳している^^;)。ひとつには、イノシシのいい画材がいまだにないことが、最大の原因。無論、書き手のセンスの問題だけど。。。こうなると、さいごは「書」に頼むしかなくなるのだが、何しろ腕がないから、誤魔化しようがなく哀しい思いをしている。この季節になると、書を習いたいと思う。これの繰り返し。。。海外に行くと、もっと言葉を覚えておけばよかったと思うのと同じように。。。味のある文字が書けたらどんなにいいだろう。筆で。茶道と書は、きっと奥が深い。佇まいやこころの奥行きまではかられるような気がする。時間をかけても、きちんと習いたい、ずっとそう思っている。これから、時間はきっとたくさんあるだろう。きっと。そう信じることにしている。
時に、年賀状。ずっと、こちらが近況を報告する形で続いていたのに、この頃は、こちらが近況を聞く側になっているのがなんだか面白い。小中学校の恩師の先生。この前は、70台半ばになってもいまだに授業の夢を見ていると教えてくれた、国語の先生。最初の授業で「わかる」ということについて、熱心に話して下さったっけ。時々、悪さをして、きつーく叱られたこともあったけど。なんだかとても懐かしい。確か、宮沢賢治や三国志を読み返しているとも言われていたっけ。ところで、どなたか、私の手書きの年賀状、みーーんな残してくれていたりしないかなぁ~?