とは、なるほど、よく言ったものだと感心することがしばしばあります。つまり、それほど、ものごとの優先順位を深く考えて生きていないからというか、すべてに感性と直感で判断を下しているからというか、常に目の前のことには真剣に気合いを入れて取り組むことはできるけれど、すぐに周りのことやその先のことを広く大きな目で見る能力にかけているからというか、まあ、きっとそんなこんなことのような気がします。
人はたいてい、最初に出会う大人(たいていは親)に、してはいけないことやしては人が悲しむこと、または人を嬉しくさせることの喜びについてなんかを教わるのでしょう。だから、3~10歳くらいの間に教わった情緒が大きくなってもずっと影響するのかもしれません。兄弟がいないという不安や孤独と引き換えに、目先の利益にとらわれて人と競争して蹴落とすだとか、常になにかを独り占めしないと不安で仕方ない症候群!みたいなものにならずにすんだことは、よかったと思っていたりします。
お陰で、スポーツ選手には必要不可欠な貪欲な闘争心にかなり欠けてしまうわけですが。。。^^;。自分の領域や持ち物(=仕事も含む?)にやたら固執する人に出くわすと、全く執着していない者としては、半ば愕然とするわけなのですが、はて、敵意むき出しで来られたときにどうしたものかと、思案することしきりで、なかなかいい解決法が見つけられないのです。「どうぞ」と差し出すことは簡単ですが、それが公的(仕事)立場が関係していると、そう簡単に切り捨てることもできないし、全体への影響を考えると勝手気ままを許すわけにもいかず、かといって、人間的にどうしても素敵に思えない人に心を砕いて間違いを指摘してあげようなんて覚悟を決めるのも一苦労。
子供みたいに「好き」とか「きらい」だけで、(仕事の場の)行動を決める幼稚な人にだけはなるまいと自分に言い聞かせるのが精一杯で、せめてそんな人のいない社会(あるわけないけど^^;)があればいいのにな、と(無意味に)願ったりしている未熟者としては、まだまだ勉強することが山のようにあるようです。「あるがまま」を素直に受け入れ、決してごまかさず(動かさず)、飾らず、奢らず、つねに平常心の「自然体」で、打つ。いかなる結果になろうとも、厳正に受け入れ、むやみに何かのせいにすることなく(責任を逃れず)、次にどうすればいいかを前向きに考え冷静に行動する!なんて、ゴルフの理想形!が簡単に出来ちゃったら、ゴルフ(で修行!)することがなくなってしまうから、(簡単に)できなくてもいいんだよね?なんて慰めているようでは駄目ですかねぇ~。どんなこと(苦境)も、楽しいことに変えられたらいいですね。きっと。。。