本質がミーハーなので、近頃どうも「大人の~」を冠する、雑誌や本の類に滅法弱い。すっかり、戦略に嵌っている。なるほど、確かに、発行する側も気合いを入れて作っている場合が多く、センスがよく、品のよい情報提供に腐心しているのが垣間見えるので、確かに満足度は高いのだが。もっとも、以前は「男の~」で始まるタイトルに弱かった。その代表作はNHKドラマ「男たちの旅路」だろうか。と、余談はこの辺にして。
昨日の全英オープンを観ていたら、(もちろんテレビで)、岡本さんがこんなことをつぶやいておられた。「もし同じ身長ならば、手が長い人のほうがいろいろなことができるからいい」と。「いい」というのは、無条件にいい(つまり何のリスクもないわけではない)という意味ではないというニュアンスを付け加えることを忘れられませんでしたが。つまり、きっと、確かに手足が短いほうが最初のマスターは早い!でも、一方で、長い方がいろいろなアレンジを加えた打ち方のポテンシャルがあるから、タフなコースになればなるほど、有利になるという意味なのだろうとおもいました。
ゴルフはピラミッドを征服する様に、どこかにある最高到達点があるわけではなく(もし仮にスコアや飛距離という面だけに限って、あったとしてもその時本人は気づけないものなのです)、例えば、山アリ谷アリの地球のような球体を旅しているようなもので、常に最善のとるべき道を選んで、進んでいくしかないわけで、ゴールなんて自分が足を止めない限り一生訪れないものなのかもしれません。だからこそ、その苦楽の過程を楽しめてこそ一興が味わえるのかもしれませんね。
でも、その後、戸張さん(?)が付け加えていたように、ゴルフは必ずしも大柄な選手が強いとは限らず、飛距離だけがスコアに絶対的有利かというとそうでもなく、年齢、体格を問わず、同じフィールドに立てる、ほかに得がたい貴重なスポーツなのだ、と。ゴルフのスコアだけにとらわれていると、そんなゴルフの醍醐味、奥の深さに気づけず終わるのかもしれません。それはせっかくゴルフをしてこの上ない不幸なことだと思うのは私だけでしょうか。で、本当に書きたかった空間美学については、スペース的に長くなりすぎちゃったので、また次回m--m。