街角で、あるいは駐車場で苦労している車をよく見かけます。特にバックに苦労している車のほとんどは、最初に停止する場所が悪い!のですが、自分も初心者の時、どれほど下手だったかを思い出せば、ある程度温かい目でみてあげないといけないのかな、とはちょっとだけは思いますが。で、これって、ゴルフの状況判断も一緒かもしれないと、ふと思った次第。つまりは、そのライから、そのクラブを使って、しかもあなたの腕前!でうまくいくと思いますか?、なんてことよくキャディ中に思ったものでした。もちろん、間違ってもそのまま口には出しませんけど。。。例えば、状況判断の上手な人というのは、たいてい自分の目線だけでなく、もっと広い視野で、コース全体から見た今のボールの位置を把握しようと努めるし、次の次でいかに有利なところで打つほうが、いかに有意義で、楽しいかを良く知っています。言い換えると、方向音痴な人がよく、地図を上下逆にして見たりしますが、あれでは駄目で、常に俯瞰的な目が求められるのがゴルフ。(そして、人生?) もちろん、今が一番大切には違いないけれど、今だけに一喜一憂していたのでは、もっと大切なものを見落としたりするような気がするわけです。とまあ、下手な車(ゴルファー?)を見ただけで、これだけ薀蓄(屁理屈?)を語る、キャディがいたらさぞ嫌われるでしょうねぇ~。^^;。
そう、時間と空間のお話でした。都会に住むと、特にこれらの大切さが身にしみます。そして、どちらもお金を出して買うものだとつくづく思います。それにけちけちすると、時間や空間のありがたさがわからなくて、お金以上にとても損だと、思うので、特に空間にはこだわっています。同じ一杯のコーヒーを飲むなら、いかにいい空間で飲むか。その代金にはその場所代が入っていると思えば、仮に少々値が張っても安いと感じます。そして、例えば、ランチタイムでもほんの少し(例えば500円)予算を上げるだけで、驚くほど贅沢な空間で食事が出来るとしたら、たとえ1時間でもその時間と空間をたった500円で手に入れたと思えるわけです。夜の外食ではとても500円のアップだけではそれほど違う空間を手に入れられないわけですから、はるかに「お得」なわけです。と、まあ、そんな風な感覚は、都会の暮らしでしかなかなか気づけないことだからそんな機会をもてたことも有難いと感じるわけです。
ゴルフでも、「間」の取り方というのが、本当は一番難しくて、洗練された佇まいなんかを身につけようと思ったら、それこそ一朝一夕ではとても無理で、ふだんのそんな空間意識、間の取り方なんかもひとりでにでてしまうからゴルフ場では嘘がつけません。ボールを打つ準備にいかに時間と知恵をかけて、そしていかにスムーズに早く決断して、早く打つか(スイングはゆっくりですが)。そして、打った瞬間に済んだことの薀蓄はやめて、次に備えて、あるいは結果を受け入れ楽しめるか、だと思うのですが。これがどうしても、難しいんですよねぇ~。打つ瞬間には、欲や見栄や自惚れがすぐに顔を出して、あれこれ耳元で囁くし、終わったら終わったで、あ~あのときあのクラブを使えばよかった、とか、もう少し強く打てばよかった、なんて、後ろ向きなことばかりに気が行って、肝心の次の危険箇所を見誤るんですよねぇ~。でもスコアの計算なんて忘れて、本当にゴルフに集中できるときは、得てしてそんなことは思わず、自然に集中できているものなのですが。。。なんでも、ある人曰く、テニスを相手を殺す(倒す)ために闘うけれど、ゴルフをすると自分を殺すことになる、のだとか。少々、アイロニカルが過ぎますが、しかし確かにいろんな意味でいい得て妙なのかもしれません。
時に、とても相性や感覚が合うひとのことを、うまが合うと言いますが、ひょっとして「間」があうというところからきているのかもしれない、と勝手に想像して、納得していました。果たして、「間」の合う人とゴルフをすると確かに楽しいものです。もっとも、中には「間」がない(に等しい)人もいるようですが。。。ちなみに、私は家に帰って「何もしない」贅沢な時間を楽しむために、電車や駅の細切れ時間を貪欲に読書や考え事に使っています。そしてオンとオフの切り替えがもっとうまくなれたら、きっともっとゴルフもっと上手になれそうな気がします。一見無駄にみえる時間も実はとても大切で、すると、一見無駄に見える経験や失敗も同様に、長い目でみたら決して無駄なことなんて何一つないのでは、とこのごろやっと少しそんなことに気づき始めたところ。。というわけで、何はともあれ、やっぱりゴルフ(=人生?)は楽しくて面白い、というのが結論!?ですね^^;。