なんでも、人は人生に一度は旅をするものなのだとか。予め帰ってくるのが予定されているのが旅行なのに対して、旅はそうではないのだとその筆者は言っていました。なるほど。してみると、まだ本当の旅は知らないのかもしれないと、つかの間の感慨に置かれたのでした。すると、例えば土曜の午後などに、行く先も決めずにふらりとハンドルを握って都心を離れる私のくせも、どこかそんな旅への憧れからくるささやかな、願望からきているのかもしれないと、さらにもうひと感慨。もっとも、全く未だに行く先の定まらない私の人生そのものが、ひじょーに危なっかしく落ち着きのない旅なのだと言えなくもない気もして、少々苦笑。。。なのですが。


今から60年前。この日父は外地から帰還を果たした記念すべき日なのだと毎年感慨を新たにしていました。当時、何のことだかピンと来ず、とりあえず晩酌のおかわりをする大義名分にしか聞こえなかったけれど。機密事項も扱う国境警備に携わっていたことがロシア兵にばれたら間違いなく拘束されたに違いないそんな危機を幾つも掻い潜っての生還だったのだと知ったのはずっと後のこと。その上、帰ることができなかった仲間のことを思うとそんなものはもらえないと、「恩給」を固辞した父。格好よすぎる気さえするけれど、どこか「武士は食わねど~」のその精神を受け継いでしまった気配は、年々高まって確信にさえ変わりつつある今日この頃。いつか、私に起業を勧めてくださった方が、商人の家に育っていないと「儲ける」ことに貪欲になれない弱さがある!と苦言を呈してくれましたっけ。


そう、旅の話です。余りに大きすぎる旅をした父は戦後をどこか余生のように、ひたすら無欲に生きていた気がして仕方がないけれど。ともかく。ゴルフで自分のスイングだけは見えない(これがあらゆることの教訓である気がしますが)ように、自分の生き方だけは、どうしても客観的に見ることができないから難しいのでしょう。どんな風に生きても「絶対にこれが正しい」というものはないことは分かっているけれど、そしてだれもが「これでいいのか」と自問自答しながら生きているのだけれど、時にふと、これでいいのだと自分を納得させられないと先に進めないことがあるものです。きっとそんな時、無性に旅に出てみたくなるのかもしれません。してみると、18ホールの行程も、帰ってくることは間違いなく決まっているけれど、どこをどういう風に通るかは決まっていないという点からみると、ささやかだけれど、とっておきの「旅」なのかもしれない、そう思えてきます。「独自の境地に遊ぶ」。ある人のエッセイに登場したワンフレーズに何かがヒットしました。そんな風に、できたらいいなと思いました。ゴルフも、そして人生も。。。