なぜか、新聞に縁がある。そういえば、小さいころ、両親はいつも新聞を読んでいた記憶があります。孟母三遷では、ないけれど、習い事も塾にもいっさい行かず、決して本を読むのも好きだったわけでもないのに、活字にそれほど抵抗を覚えなかったことは有難いと、今になって思います。そして、「やれ」といわれるとそっぽを向き、「無理をするな」と言われると反対に頑張ってしまう、私の性格をとうに見越してか否か、一度も親には「勉強しろ」と言われたことがない気がします。きっと、子供は知らず知らずに親の姿に影響を受けるもの。だから、ただ「知識」を詰め込むだけの「勉強」ばかりが器用になっても仕方がないと思うのですが。。。
かつて、友人の一人が言った名言があります。それは、Computer is silly. それは、まだウインドウズもe-mailもほとんど知られていないころでしたが、この10数年の急激な進化を見ながら、コンピューターはあくまで「道具」なのよ、ということがともすると忘れられているのでは?と気になります。その友人の理由は、こうでした。つまり、コンピューターは予め命令されたことに対して忠実に反応するだけで、自分で考え、判断するものではない、とうこと。確かに、e-mailの便利さは甚だ素晴らしく、その恩恵は多分に受けているけれど、どうしても機会を全面的に信用できない昔人間の私は、本当に大事なものは「手書き」で残すに限ると今でも疑わないのですが。。。
時に、以前「動物占い」というのが流行ったことがありますが、最近また本屋に平積みになっていたので、一寸一言。実はあれ、四柱推命などで使われる、生年月日がもつ4つの星をベースに分かりやすく、12種類に動物に置き換えている、ということを少し独学して知りました。でも、実に当たっているので確かに面白い。占いと聞くと当たるも当たらぬも。。。となりそうですが、なんとか先生の○星人というのも共通する部分が多分にあって、「攻めてもいいとき」と「無理をしたらいけないとき」が簡単に分かるので非常に便利。そして、厳密には12の4乗の種類の人に分類できるのですが、大雑把にじゃんけんの3種類に分けることができます。つまり、グーはチョキには強いけれど、パーには弱いといった具合。親子でも相性の良し悪しがあるくらいだから、他人なら尚更。目上のほうが、強い場合うまくいくのだけれど、それが逆だと上の人間が、なんとなく「ものが言いにくくて」苦労したり、イライラしたりするといったふう。上下の関係がうまくいかない場合の、大抵はこの相性(の悪さ)が作用しています。それでもせめて、そうなのだからある程度は仕方ないと「知って」いるだけで、かなり楽になるのですが、「知らない」人はもっとつらいのだろうなぁ~とよく思ったり。。。