こんな拙い独り言日記でも、毎回欠かさず読んでくださる方があるかと思うと、とても勇気付けられ、有難く感謝の思いと同時に、思いつくままを書いているためいささか恐縮の思いであったりもします。

この前、街角でほんの一瞬でしたが、確かに沈丁花の匂いに触れました。ゴルフ場にいたころは、鶯を一番に聞き、新芽の綻びを最初に見つけ、東風の匂いや空の色など季節の移ろいを敏感に発見できたものでした。なので、少し、野山が恋しいと感じる瞬間がたまにあります。何しろ、自宅の庭で、沈丁花はもちろん、ふきのとうから、山椒、ミョウガまで採れたりする田舎!で育ったせいでもあるのでしょうが。。。


かつて、地球の裏側の野球王国で、中高生を相手に9回を完投!したことがあります。それから、高校時代、数学の授業をしたことがあります!。そして、もう一つ。以前、母校で講演したことがあります。それも、「伝えるということ」というなんとも大それたテーマで。そんなこんなを今思い返してみて、何ごとも経験なのだなぁ~とつくづく思います。どれもが、思って望んだだけでは出来ないことなだけに、運というか機会に恵まれるというのは、とても有難いことなのだと実感するわけです。そして、「伝える」ためには、実体験を通して感じ、実感した思いや、あるいは「想い」の「核」になるものを持っていないと、はじまらないということをです。


もちろん、「核」になるものは、必ずしも言語化されていないこともあるかもしれないし、「伝え」なければという使命感を意識してはいないこともあるかもしれないけれど、それを持っている人が言うことにはやはり力があるし、人を惹きつける何かがあるのではないかな、と思います。言葉の使い方が上手い人は注目されやすいのは確か。でも「核」になる何かがないと、それはいくら言葉を駆使しても人の心には残らない。これまで、小さいころ先生から聞いたいくつかのエピソードを紹介しましたが、きっとそれらはそういうことではなかったのかなと思います。私はまだまだ、「生きて」ないし、伝えるべき「核」になるものを見つけるにはまだまだ修行が足りないので、本当の意味での「書く」というアウトプットをする資格はないと勝手に思っているところ。でも、いつか、きちんと「伝えたい何か」「伝えられる何か」を見つけられたらいいなと願っているところ、でもあります。(次こそ、ゴルフの話題をします!^^;)つづく