甲子園を見ていてふと、思いました。高校野球では、必ずと言っていいほど、攻撃のシーンに登場する犠牲バント。ゴルフでいうと、ピンチで「刻む」(横へ出す)ことに似ているな、と。個人的には、以前「やまびこ打線」で甲子園を沸かせた四国山間部の県立高校が見せた「ノーアウトでもツーアウト」でも「打つ」豪快な攻めが爽快で好きでしたが。それはともかく。犠牲バントの賛否はいろいろありますが、▽相手バッテリーに与える影響(投球の幅を狭くするなど)▽最悪ともいえるダブルプレーの可能性を極力少なくする。。など、得点する可能性を高める貴重な布石になるのは確か。高校野球では、得点パターンの方程式にもなっています。
本当は、もしかしたら打てるかもしれない本塁打(ナイスショット)のために、フルスイングしたい気持ちをぐっとこらえて、球の勢いを殺し狙ったところにボールを転がす。次のナイスショットをより効果的にするための攻撃的一手。より「確実な策」というのは、ともすると「逃げの一手」と誤解されやすいけれど、何も考えないで「とにかく(ピンチの)その場から早く逃げたい一心で」打つことより、はるかに「勇気」と「忍耐」がいる行動です。以前に100を(確実に)切るためには、きちんと「刻める」ことが大前提、と書きましたが、ピンチをチャンスに変えられるか、ピンチをより大きなピンチにするかはその「勇気」と「忍耐」がかぎを握っていると思います。「刻む」ことには、状況を的確に読む判断力や、次に満を持す(いったんは周りより1打劣ることを覚悟する)忍耐力など、狙ったところに狙った距離と高さのボールを打つ技術力以外に多くのことが集約して求められるから、「(的確に)刻むことが一番難しい」と言われる所以ではないかと思うようになりました。でも、犠牲バント(送りバント)同様に1打(1死)を犠牲にしても、得られる効果ははるかに大きく、結果的には犠牲にしたはずの1打も決して無駄(犠牲)にはならないのです。一度の送りバント失敗が試合の行方を大きく左右することが少なからずあるように、「刻まない(刻めないではなく)」ことが、傷口を大きくして(残りのラウンドが楽しくなくなって)しまうこともあるのでは。「所詮遊び」ですが、もし「やっぱりスコアアップが何よりのご褒美」だと思われる人には一考の価値があるかもしれません。犠牲バントの大切さ(意義)について。。