正月早々、旦那の弟の嫁さんのお父さんが、急に亡くなって、新年会をキャンセルしたのだけど、結局仲間がまた別の日程でやってくださることになった。

それが先週日曜日。
なんといっても遊花は、日曜日しか休みがないもん。

行ったのは、いつもの櫂梯楼です。
居酒屋系の和食レストラン
メニューがいっぱいあってお手頃で、雰囲気もいいから人気です。
私は、野菜御膳を頼み、みんなはお刺身と天ぷらがついたおばんざいプレートを頼んでました。


のんきーちゃんは、旦那さんの実家で行事があり、Kさんは娘さんが成人式。
というわけで参加者は、AさんUさんYさん木村さん、そして私。

私は、娘時代に誂えた、小紋を着て行きました。しつけがついていた新品をついにデビューさせられてちょっと嬉しい。
やっぱり新年会は、ちょっとおしゃれしていかなくっちゃね。

Aさんの淡い色の附下もすてきでした。

冬用の草履も新品。私も買うように勧められたけど、あまり欲しくないかな。

その後、またでんさんと市松さんに行ったのだけど、買わないつもりがやっぱりすてきな袋帯を見つけて買っちゃった。

ちょっと螺鈿っぽい細工がしてあってほぼ新品で2000円。
これを来週の初釜にしめて行こうか模索中。

実は、和裁の先生にお借りした附下?訪問着にあう帯がなかなかないのよね。
楽しい悩みです。

明日は、和裁でまた裄を直すつもりです。ちゃんと裄の直し方を覚えたいなぁ。
最低あと、4枚は直さないと残念な着物があるんですよね。

明日はどんな着物を着て行こうかな。
地味系にしようかな~

「きものの歴史」より、備忘録
帯は、昔は「おもじ」と呼んでいた。
単に「お」というだけで帯と感ずかせるためである。
(ほかにタコをたのじ、杓子は「しゃもじ」と呼んだ)
帯という言葉がはばかられたのは、古い時代に帯解くというのが、男女の情事を連想させたかららしい。
さて、帯が再び脚光を浴びたのは、公家から武家の時代になり、武家の妻子がお手元不如意で打掛の下着である小袖が外にでてきたためらしい。

この小袖が今の着物の原型なのだから歴史は面白い。

そうそう、古代の日本語は発音が現代とは違っていて、母は「パパかババ」という破裂音を使っていた。なぜならその時代のなぞなぞに「お父さんとは会えないのに、お母さんとは二度会えるのは何?」の答えが唇だったから、判明したそうですよ。

時代は常に流れている。過去の栄光に引きずられてはいけない。
なぁんて自戒を込めて書いてみた。