苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ  

小倉百人一首の第1首。

天智天皇ってご存じでしょうか?(^-^)

中大兄皇子のほうが聞き覚えあるかと思います(笑)

大化の改新をした天皇で、蘇我入鹿をやっつけ、

晩年滋賀県大津市に都をひらきましたが、

10年も持たずに、病死され、弟(?)の

天武天皇に政権を渡したとされていますショボーン

が、一説によりますと、京都市山科区で暗殺されたと言う説もあったり。

実際、山科区の御陵(みささぎ)と言う地に、御陵(ごりょう)があり、

天智天皇が、祀られています。

が。






これは、京都府宇治市小倉町にある、

浄土宗の地蔵院と言うお寺にある、

天智天皇のお墓です。

一説には、






小倉町のある土地に天智天皇の遺体が埋められていて、
その遺体を埋葬した地が地蔵院。

この写真の辺りだと言う説です。

この地は、小倉町天王といいます。ちょっと字(皇→王)

なんか、普段通っている道に偉大な歴史上の人物と関係があるなんて、

ロマンチックですねニコニコ

また、小倉→巨椋と昔は言いまして、

巨椋池と、言う大きな池がありました。

巨椋池は豊臣秀吉ゆかりの地で、近江の国からの物資を、大阪に運ぶ中継点になっていました。

だから、巨椋池の周りには、淀城(茶々姫)

伏見城(ねね様)があり、

伏見区向島には向島城と言う大きな城があり、
徳川家康も住んでいたらしいです。

豊臣秀吉や、徳川家康らか、

池を使いやすくするために、色々と土手(堤)を築きました。

太閤堤といいますが、

このせいで、戦後、流れの悪い池にマラリアが発生するために、池を干拓して、

今、僕らが住んでいる小倉町の住宅地となっています。

巨椋池干拓は、国営事業第1らしいですね

まあ、色々歴史を感じたこと、書きました(笑)