一見、小難しくて衒学的で高尚そうなイメージをまとっていて、なおかつ
気安くてお手軽な商品、これが本作の商品価値の根本だと思います。
ぱっと見、複雑な設定と緻密な作りみたいに見えますが、根本のドラマ自体は、
いかにもオタが作ったという、ストーリーは浅くて未整理で人物描写はいびつ、
かいじゅうロボットのクイ込み美少女が学園ラブコメラノベを演じてるレベル。
つまり良くあるお膳立て。要はオタ発オタ行きオタアニメです。
でも、そこになにやら高尚そうで衒学的な、小難しそうなディティールを
表面上だけ振りかけ、「ナゾ」だか「テツガクシソー」だかの難解学生映画研
風味をまぶした。つまり、美少女オタアニメへいつも通りに入れ上げるだけで
「これは見ていても恥ずかしくないぞ」
「これをただ見てるだけで、立派で知的そうだと思ってもらえるぞ」
という新たな『商品価値』を付加する事に成功したのです。
これは画期的でした。例のいつものようなオタ学園ラノべアニメをただ見る
だけで、視聴者自身は何の向上も努力もしてないのに、あたかもナニやら
高尚で小難しい、立派で凄い事に勤しんでいるかのように振る舞える。
自分では何もしてないくせに、何か立派な事でもやり遂げたかのような
いい気になって、他を見下せる…。商品として、なんと魅力的でしょう。
高度経済成長以降の大衆消費社会とは、客自身が主体的に何かをした訳
ではないのに、商品を買うだけで、何か大層な事を成し遂げたかの様な
気になれる、という「自意識の物語」を売る様になりました。
「これを選んだアナタは『解っている』お方です」
「これをお使いの貴方は、違いの解るお人です」…
本作はその「自意識の物語」を売った大成功例と言えます。本作の
大ヒットとは実はそういう事です。
そして、そういったセールスプロモーションにハマった人は、「自分は
この高尚で高度で難解な大傑作に入れあげているから、同様に自分も
また高尚で高度で立派な人間である」…という幻想で自意識を膨れ
上がらせる事になりました。
そういった客層…つまりは“ファン”なんでしょうけど…は、その自己肥大
の幻想の担保になった本作を、あくまで高尚で素晴らしいのだと主張し続け
るしか無い。そうでないと、キモチヨく膨れ上がった自意識が正体を暴かれ
吹き飛んでしまうからです。10年も経って今さら出た新作劇場版を、ファン
がわざわざ見に行き外に聞こえるように褒めちぎってみせる理由は、これです。
なので、この作品の内容とかストーリーとかは、ファンにとってはもはや
どうでもいいのです。「『本作はスゴいんだ』という事にしておかなければ
ならない」という必死の振る舞いが、本作の人気の真の正体です。
これって新興宗教と一緒。“ご本尊”を否定する事は、“信者”である客が
自分自身を自己否定する事に直結してしまう。天狗になった自意識と本作の
評価とが、無防備に地続きになってしまったのです。
つまり本作の魅力とは、ファン自身の自意識、自尊心そのものなのです。
本作のファンは、作品をほめるふりをして、自分自身をほめているのです。
自ら自身に向かって「おめでとう」と叫んでいるのです…