20年程前息子が入院した時、隣のベッドに大きな男の子がいました。

付き添いのお母さんは、とても元気な人で明るかった。


その頃、息子を何処の施設に通わせたらいいのかなど世間話をしていた。

退院後、分厚い封筒が届いた。

中身は、息子の通えそうな施設の紹介だった。差出人は、隣に居た元気な人。

随分親切な人だな??と思った。


数年後、区の招待で日帰りバスツアーに参加した時、偶然にもその人と再会した。

仲の良いお友達と参加していたのか?「彼女ね!養護の後輩なのよ!!」と嬉しそうに私を紹介していた。 

私は全然知らない人なのに、彼女は何故か私を知っている風だった。


それからも、何度かバスツアーで顔を合わせたのだが・・・急に怖い顔つきになって「よく考えたら、貴方なんでこんな所で遊んでるのよ?今は養護学校でしょう?役員とかで忙しい時でしょう?役員やってないの??」と言うのである。


学校と言うのは、役員本部(PTA会長・副会長・書記・経理など)と委員長(学年・広報・地域など、学校内の雑事や役員の使用人みたいな仕事)を行う、いわゆる小規模な社会組織?・・・私は、女だらけなので『大奥』みたいなものだと思っています。


よくよく話を聞いたら、その人は、養護学校の元会長だったのでした。


その日を堺に、景気が悪くなってきて財政削減のあおりから、バスツアーなどの招待がなくなり、その人と会う事も無くなってのでした。


長い学校生活が終わり、委員や仲の悪い仲間などから、やっと解放されたと思っていたのに、施設に入所したとたん「役員やってね・・」と打診された。

そして去年、副会長しか残っていなかったので、副会長をやる事になった。


初めての四所合同会議に出席。

4つの施設の会長・副会長が集まり、お互いの施設の様子や行政の動きなどについて情報交換をするのです。

障害者の親達は、古ければ古い人ほど、道なき道を作り上げてきた人たちなので怖いのですよ!!

私達ぐらいになれば養護学校もあり、大体の道は作り上げられているので、今時の人なのですが??

ですから、怖そうな人達に囲まれて萎縮していた所、急に肩を叩かれた。

振り向くと「やっと来たのね・・・」と、見知らぬ人がニコニコ笑いながら立っていた。

私が「アッ??」と驚くと・・・「分からなかったでしょう??痩せちゃったからね・・・胃がんでね、胃を全部取っちゃったのよ・・・」と言う。


彼女は養護学校から17年間、会長として君臨して来た人らしく?主になっていた。

区の職員らも、彼女には頭が上がらない様子だった。

彼女は、自分の仕事振りを私に見せ付けるかのように勢力的だった。


しかし、3度目あたりからその人は休みがちになり、私も役員の仕事に不満を持ち、会長に反抗的な態度を取っていたので、四所を1度だけ休んだ。


それからまもなくして、元会長の訃報が届いたのです。

私が四所を休んだ頃には、もう末期だったらしい。

元気にしていたのに急な事だったらしく、息子さんの預け先も決まっていなかった。


私は彼女の「やっと来たのね・・・」言った、あの嬉しそうな顔を思い出す時。

「もしかして、あの人は、私を待っていたのか??」と思うのでした。

初めて会ったあの日から、あの人は、後輩である私に、PTA会長として活躍している姿を見せたかったのかもしれない??

最後の最後に、2~3度だけだったけど、最後の花道を見せられて、ホッとしたのではないのか??


先日、『音楽の集い』の懇親会の席でJ先生が「こうして、音楽の集いを続けてこれたのも『一期一会』の縁があったから・・・」とか話していたような??

この、元会長との出会いと別れを思う時、『一期一会』の縁みたいなものを感じたのです。