書きたい事が一杯なのに、タイミングよくPCに向かえないので書きたい事がバラバラになってしまいますが・・・ショック!


私の家は夫婦仲が悪く、幼稚園の頃から私が帰宅すると、暗い部屋の中で青痣だらけの母が泣いていました。

海軍上がりの父と小柄な母。腕力で敵うはずがありません。

父は、いつもイライラしていて、ブチブチと何か呪文のように独り言を言っていました。ですから、私も弟も父に話しかけることすら出来ず、父に対する怒りだけを募らせていました。


20才になったある日。 初めて父と2人だけになった時がありました。

父は、趣味の碁をやっていた。私は父に聞いてみたい事があったので、思い切って聞いてみた。「お父さんは、私達が嫌いなのでしょう??」と・・・。

すると父は、碁板を見つめたまま「そんなことないよ・・・」と言ったのです。


私は、父を見つめながら体操座りをしていたと思うのですが??

目線が父の上にあった気がします??私の目は父を見下ろしていたのです。

いつも大きかった父の背中が、凄く小さく見えて・・・その肩が小さく震えているように見えました。

「あの父が泣いているの??」そう思った時、「もうこの人を恨むのを止めよう」と思いました。

その時です!!私の頭から、何とも言えない爽やかなシャワーが降ってきたような??滝に打たれたような??そんな感触が私の体を通り抜けてゆきました。


あの時の体験が何だったのか??未だに良く分かりませんが、とにかく、私の中の憎しみと言う汚い血が、全て洗い流された事だけは分かりました。


昔伯母が、「男親と息子は、いつか取っ組み合いの喧嘩をする時が来る。その時親を負かして初めて、親を越えられるんだよ・・・」と話していた。

私は、この体験が、私にとっての父を越える儀式だったのだと思いました。

それ以来、父という人を客観的に見る事が出来るようになりました。

今まで、ろくに話した事のない父ですが、少しずつ父を理解していく事が出来るようになったのです。


弟にも、「もう、お父さんを憎むのはやめようよ・・・」と話しました。

しかし、母親が大好きな弟には、母を泣かせてばかりいる父を許す事など出来なかった。

ある日、来る時が来ました。父と弟が掴み合いの喧嘩になったのです。

「これで弟も、父を越えられるかも・・・」私はそう思って眺めていました。

ですが母が仲裁に入り・・・喧嘩は中途半端な形で終わりました。

「もうダメだ・・・最後までやらせればよかったのに・・・」私は、ガッカリしました。


暴走族で仲間と粋がっていた時は良かったのですが、高校を中退し、社会に出てみれば・・・男の子ゆえの苦しみが待っています。

冷たい社会の風と戦う苦労・・・母も私も、助ける事は出来ません。

家の中は、いつまでも蟻地獄のようでした。


前回話した、私が着せ替え人形だった頃、弟は、皆から相手にされず、私ばかりが良い思いをしていると思い込み、私を妬んでいたのです。

それだけではなく、伯母も従姉も「お前は頭が悪いね!!」 「まったくお前はバカだね!!」と、弟をののしって楽しんでいました。

2人にしてみれば、冗談つもりだったのでしょうが、弟にしてみればプライドも自尊心もズタズタにされ・・・何に対しても自信が持てない、引っ込み思案な男になってゆきました。 それは、弟だけではなく、私も同じです。

弟ほど、バカバカ言われはしませんでしたが、ドンドン自分に自身が無くなっていったのです。


心優しい弟ゆえに、伯母達の仕打ちと父との関係は、弟の人生を狂わせて行きました。 だからこそ、あの洗礼は、弟に体験して欲しかったと思っています。


仕事を点々としながらも頑張っていたある日、1人の男性が救ってくれました。

不動産屋を経営する社長さんが、弟を正社員として雇ってくれたのです。

何度か失敗したようですが・・・宅建の資格を取ってからは、少しずつ自分に自信が持てるようになったようで、明るさを取り戻してゆきました。


最近では、先行き短い母の思い出になるようにと旅行に出かけ、この2年間は、私まで招待してくれるようになりました。

修学旅行以来、京都にも行けたし・・・今年の5月には、中学時代友達と行った伊豆稲取にも行ってきました。台風で天気が悪くて、残念でしたけどね!!笑

そんな優しい弟なのに、まだ独身です。 女性に対して臆病なのです。

強い権力を持った伯母と従姉の影響はあるでしょうね。

心の傷というものは・・・残酷なものです。