小学校時代、私は従姉の着せ替え人形のような立場だったのです。

親戚の少ない我が家にとって、伯母は春日の局様の様な立場でした。

従姉はその娘なのですから、私など口答え一つ許されませんでした。笑


従姉は6歳年上。 自由奔放な生き方は、私にとって憧れでした。

従姉は美人で、頭も良く、センスが良く、気前が良い!!

難を言えば、ちょっと背が低い事だけかな・・・。


従姉は学生時代、毎月、外国のファション雑誌を何冊も買っていました。

セブンティーン・ヴォーグなどなど7冊は買っていたかな??


従姉の家に遊びに行くと、当然従姉は出かけています。

毎日遊び呆けているので家になど居ないのです。

彼女の部屋は白い家具で統一され、クーラーが効いていて快適でした!

そこで、親達の話しが終わるまでのんびりと雑誌を見るのです。


昭和30年代では、あまり外人を見かけることがない時代でした。

しかし、雑誌の中のモデルさんたちは・・・・美しい金髪・長い足・青い目!!

その美しさに、見とれて・憧れて・・・・どっぷり、劣等感のドツボに・・・・涙


ある日、友達の家で絵を描いていたら、「お母さん、Yちゃんの絵変だよ?髪が黄色いもん」「そうよね?黄色い髪の人なんか居ないものね?」と言われた事がありました。 バービー人形や外国のドラマ『ルーシーショウ』とか『素敵なカレン』など、アメリカの情報は色々入って来ていたんですけどね??


そんな感じだったので当時の小学生としては、かなり目立つ服装をしていました。

私が望んだわけではありません。

伯母と従姉が、私を着せ替え人形にして楽しんでいたからです。

口答えの許されない私は、言われるままに着ているのですが、その状態は、従姉が結婚するまで続いてゆくのでした。 


第三者から見れば、羨ましい部分もあると思いますが??

おかげで私は、自分のお小遣いや働いたお金で買う楽しみを奪われてゆくのです。 私の部屋は、従姉から貰った服で足の踏み場もないほどだったからです。


小学校時代は、いい服を着ているという理由だけで裕福で頭のいい子達のグループに入れられ、遊びたい子とも中々遊べなかった。

大人になればなったで、気の強い女性たちが、「いい服着ているわね・・・」などと値踏みしてきます。 私は、人と張り合うのは嫌いです。

私は一般家庭の子なのに・・・服ばかりが一人歩きしていました。

気が付けば、自分の意思というものが殆どない、劣等感の塊で優柔不断な大人になっていたのです。