脱ポンコツ漫画家プロジェクト■30

はじめから
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前回
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ビッグコミックスピリッツ。
おそらくこの日本に住んでいて、この雑誌の名前を聞いた事のない
人はそういないと思われる程、売れてる雑誌だ。
また仮にこの雑誌を手にした事がなかったとしても、数多の
アニメ化・ドラマ化・実写映画化した作品の原作を扱っていた
事から、馴染みがない日本人はまず皆無だと思われる。
古くはYAWARA、美味しんぼ、めぞん一刻、東京大学物語、
近年では20世紀少年や闇金ウシジマくん等と枚挙にいとまがない。

恐れ多くも、僕がこの化け物じみた雑誌に持ち込むのはこれで
3回目である。
1回目は1996年。
僕がデビューする数ヶ月前の事で、後にヤングマガジン増刊で
デビューする事になった作品を持って、行った。
当時僕には『ヤンマガを本命にしよう』と言う明確なプランが
あり、この時は『お試し』でスピリッツに行ったのを覚えている。
(その時点でかなり上から目線だがw)

多くの漫画家志望者には大概デビューしたい雑誌がある。
(特に週刊ジャンプの希望者は異常な程多い。)
皆大体が、好きな雑誌・読んできた雑誌に自分の作品を載せたい
と当然ながら思う。
だが僕は違った。
と言うのも、特に読んでる雑誌も好きな雑誌もなかったからで、
『○○に描きたい』ではなく『○○なら僕に描かせてくれそう
ではないか?』と言う基準で雑誌を選んでいた。
その為に僕は、店頭に並ぶマンガ雑誌のリサーチをした。
とは言ってもそれは、「どんな作品が主流か?」ではなく、
「増刊を何ヶ月おきに発行する?」「代原(※)起用が多いか?」
「新人起用が多いか?」つまり新人育成にどの程度比重を置いて
いるか?
その点ばかりを注視して雑誌を見ていた。

※…代原とは連載作家が〆切に間に合わなかった時にその分の
ページ数を新人の作品で埋める事。
ちなみに僕は週刊アクションと関わっていた頃、業界でも
超有名な江口寿史センセイ(代表作「ストップひばりくん」
デニーズのイラスト等)の代原に何度かなっている。

当時の僕は今以上に、致命的に絵も構成も下手クソでどうしようも
なかったため、勝つためには他の新人が見落としているような角度
からのアプローチが必要であった。
その時に役立ったのが、当時ビクターの社員であった父からの
アドバイス、『ビクターがアマチュアミュージシャンをスカウト
する際の選考基準』だった。
そこにはミュージシャンもマンガ家も差がなかった。
企業が欲しがる人材・才能。
それは文化功労者などではなく、売物として優れている新人か否か!!
全国のガキ共から小遣いをどれだけ巻き上げられるか!!?
それにしか興味がないレコード会社、そして出版社…
売れれば何でも良い!!と言う主義。
それらを総合的に判断してみると、ヤンマガは当時の僕の調査では
一番新人にチャンスを与える雑誌に見え、故にデビュー出来る
可能性が高そうだと判断したのであった。

15年前、それを踏まえた上で、あくまでお試しで行ったビッグ
コミックスピリッツ。
その時対峙した編集者は
「うん、荒削りですが面白いです。宜しかったらこちらで預かり
ましょうか?」
と言ってきた。
『預かる』とは、その出版社が催す次回の新人賞に出す、と言う
意味であり、また編集がこんなセリフを吐く時は、受賞の可能性
がある事を示唆する。
もちろんここで預かってもらっても良かった。
だが、新人賞を取ったとしても、雑誌掲載までも視野に入れると
スピリッツは可能性が高いとはどうしても思えなかった。
結局その目的を果たすにはやはりヤンマガの方が分があるように
感じられた。何故なら繰り返すが、当時のヤンマガは新人用の
増刊号をバンバン発行していたからである。
アマチュアの中でも下手クソで、大したセンスもない僕は、どちら
かと言うとそーした視点から、戦略的にやるしかなかった。
スピリッツの編集者には丁重にお断りすると、名刺をもらって
その場を去った。

で、初期段階のプランは功を奏し、ヤンマガで受賞~デビューと
スムーズに行った。
(ちなみにこの時はヤングジャンプでもお試しをし、やはり
スピリッツと同じような反応であった。)



2回目にビッグスピリッツに行ったのは、そのヤンマガと別れる
時だった。
とりあえずデビューと言う初期の目的を果たした僕。
しかしヤンマガでの実績は全くと言って良い程なく、その新人
御用達の増刊号に数回掲載されただけで、その雑誌での連載も
なかった。(その増刊号の常連には小田原ドラゴンさんや
平本アキラさん、日本橋ヨヲコさんなんかがいた。)

通常新人漫画家が雑誌掲載されるには二つの関門がある。
まず第一に担当編集者のチェック。
ここで何度も何度もネームやプロットのやり直しをし、担当
OKが出たら、今度はそのネタを編集会議と言う場に出す。
その会議でOKが出たら晴れて雑誌掲載に至り原稿料が発生
する事になるのだが、一つ目の関門、すなわち担当チェック
でOKが出ても、本丸である編集会議で必ずしもOKが出る
訳ではないばかりか、むしろここで落とされるケースが少なく
ない。
そしてまた厄介なのが、編集会議で落とされたネタは、同じ
編集部内ではちょっと直してリベンジと言う事がとてもし
にくく、手直しの余地があったとしてもゼロから全く新しい
作品を描かざるを得ない、と言う風潮がある。

話は戻るが、2度目に僕がスピリッツに行ったのは正にその
ヤンマガでの『編集会議』の後。
自分的にはかなり自信のあったヤンマガで描いたネタを、担当
OKが出た後編集会議に出したら難癖を付けられた、と言った
感じだった。
おそらく多くの新人もこれに涙を飲んだはずだ。
そんな理由から、編集部でも上位の立場である編集長や副
編集長なんかが自分の担当であると有利、と言う、作品の出来
そのものとは無関係な勝ち方も存在する。
とにもかくにも編集OKが出て、編集会議ではボツにされたが、
僕にとっては自信作であり、可愛い僕の分身でさえあった!!
当然どこかで日の目を見せてやりたい!!
再びそれをスピリッツに持って行った…
その時の僕は一度目の時よりも、遥かに自信・高慢が身に
付いていた。
こんな巨大な編集部を相手に…

その時も(もちろん1度目の時とは違う編集だが)、1度目の時と
同様「お預かりしましょうか?」と言ってきた。
僕はそんなの当然だ、と言う態度だった。
それは自分の高慢もあったが、編集会議でボツったとは言え、仮にも
ヤンマガの担当が掲載OKを出したネームだ。
そしてスピリッツの編集は続ける。
「間違いなく確実に新人賞は取るでしょう。」
僕は一応「その根拠は?」と聞き返すと
「私もその選考に関わってますから。」との事。
僕は心の中で『お前が選考に入っていようがいまいが、新人賞など
俺が落とす訳ねぇだろ!!』と思った。

だが肝心なのはその先じゃないか!?
「そんな事よりスピリッツに僕の作品載りますか?」と尋ねた。
すると編集の顔は少し曇り、
「それは何とも言えません…もちろん載らないとも言い切れ
ませんし…確約は出来ません」
僕はこの煮えきらなさが嫌で「ではご縁がありましたら」と
言い、この時も原稿を渡さないで帰って来た。
(余談だがこの後同じ原稿を週刊少年チャンピオンに持って行く。
結局そこでもこの原稿の掲載はなかったが、すぐに別の作品の
ネームで雑誌掲載が決まった。しかしアンケート結果が奮わず、
その読み切り一本で終わっている…)


そして今回、3度目のスピリッツ…
それなりに経験や技術を積み、こんな僕でも15年前と比べたら
いくらか成長し、知恵も備わった。
そこには手抜きしても手抜きに見えない知恵や、ずる賢さも
備わった。
金が欲しければオッパイを沢山描くべきだ!!と言う事も覚えた。

だがしかしあの当時の高慢さや、編集に食ってかかるような
無鉄砲さは完全に消えた。
そしてそんな過去を回想しながら、優作似の編集が読み終わる
のを待っていると、また思い出した。
そうだ、持ち込みの時って、視線のやり場に凄く困るのだ。。。
編集が僕の作品を読んでいる間の10分程度、物凄く手持ち
無沙汰でやる事がなくなる。
かと言って読んでいる編集の顔をジロジロ覗き込むのも変だし、
携帯をカチャカチャやるのも何となく失礼に当たりそうだ…
で、視線を色々なところに泳がすのだ。
今、目の前でふてぶてしい顔した優作似の編集(もちろん前回・
前々回とも違う人)が僕のネームに目を通している。

やがて読み終わったらしく、優作はパラパラと前に戻ったり
同じ所を何度も読み返したりした。
その顔は苦かった。
「スーーーー、
うぅ~~~~んん…」
優作は険しい顔で、無駄に呼吸音を立てている。

結論から言うと、今の僕は完全にお呼びではなかった…



つづく
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