■10 最終回

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そして僕は25歳、漫画家を目指すようになった。
髪を切り、外見もかなり普通になった。

髪切り


ただ実際は音楽活動をスッパリ辞めた訳でもなく、
それは標準的な社会人が時々集まってやる程度の、
超縮小規模での活動(曲はオリジナルだが)みたいな
ものと言えた。
(しかし、ある意味ロック史に残ると言っても差し支え
ない程の活動『アナル五十嵐プロジェクトなどは、
実にこの後にしているので、規模の縮小に加え僕の
年齢が上がったにも関わらず、活動そのものは更に
濃厚になっているのだ!!)

アナル五十嵐
http://www.k2.dion.ne.jp/~sexdrug/pageanal/frame.anal.html




「まぁなかなか厳しい世界だしね、誰もが自分の
人生を生きる訳だから止める事も出来ないよ。
まぁ折角やってきて残念だとは思うけどな…」

僕が音楽活動を辞める(超縮小)と言う事を話すと、
先輩は珍しくオトナっぽいコメントをした。

もう僕は別のジャンルの人間、あら探しをすべき相手
ではない、と先輩も認識したのだろうか?

「もしサイドギターで欠員が出たら、1回位手伝って
もらおっかな~?」

「俺のテクじゃ無理っすよ(笑)」

ラストページ




人と言うのは不思議だ。
『似て非なる同属』であればある程、確執を持つ。

例えば暴力団と普通の人の間には、抗争は生じない。
しかし『似て非なる同属』同士、違う団体の暴力団
同士の間には熾烈なまでの争いが生じるではないか!!

僕は他の環境でこの人と知り合っていたら、きっと
好きな先輩になっていたかも知れない!!

…と言う事に気付いた時には既に遅く、その後に
2~3回くらい会ったかどうかで、結局この人とは
フェードアウトした。






その約1年後、僕が26歳の頃だ。


皆さんもご存知の通り、僕はヤンマガ新人賞
受賞し、結果その受賞作がデビュー作となっている。
(ちなみに同期頃のデビューに日本橋ヨヲコ氏や
平本アキラ氏などがいる…)


人生の第二ステージとして、僕は漫画家になった。
しかしそこはそこで、Rockの世界と似て非なる
戦場と言えた。
少なくとも僕は、Rockの世界ではプロになる意識は
なかったが、『こんな優れたヤツでもデビュー出来ない
のかよっ!!!?』と思わせられる人間を何人と見てきた!!
それは言うまでもなく漫画界でも同じで、凄まじく
優れた能力を持っているにも関わらず、涙を飲む
未デビュー者が、ピラミッドの第一段目の石積みの様に、
おびただしく、限りなく存在した!!

だがプロになってからの方が、更に厳しい事よ!!!!

デビュー1年以内にヤンマガで連載を取って、単行本が
バカスカ出て印税も沢山もらえて、30歳になるまでには
年収が1000万円を越えて、ヤンマガに出ている
レース
クイーン
もしくはグラビアアイドル
合コン
で知り合って付き合って、万事が俺の思う
まま!!!!


…の予定だったはずが、ことごとくプランは狂い
まくった。

まさか『デビュー』と言うバラ色の言葉の裏に、格差
社会の圧倒的な敗者への扉が、大きく口を開いている
だなんて、あの当時の『俺って才能あるんじゃん?』
とでも言ってしまいかねないような、のぼせ上がった
白子のような大脳では、想像が付くはずもないだろう…

そしてそれでいて、なまじ見込みがない訳でもなさ
そうなところも、変に諦めも付かず質が悪かった…




そんな極貧漫画家の僕が32歳頃の正月。

パピーとママンが暮らす家に新年の挨拶に行った。
そこには更に妹夫婦とその娘二人も挨拶に来ていて、
実のオヤジが死んでからの3人で暮らした日々からは
考えられない、大所帯のファミリーが形成されていた。

結局僕は、彼等と一つ屋根の下で共に暮らす事は
なかったが、その情景は家族として時間をかけて
積み上げた、実績すら感じられた。


酒を振る舞われて、相変わらず真っ赤になった僕。
花が咲く昔話の話題の多さに、積み重ねた年月と
人間関係の厚みを思わせられた。

するとふとパピーが
「先日、○○さんに会ったよ」と言ってきた。

僕は
「はっ?誰それ…??」と応えた。
そー言えばいつの事か覚えていないが、僕は意識的に
パピーに対する『敬語』を封印したのだった。

パピー「おいおい、昔、デモテープを聴かせた人だよ」

僕「!!!!!!」



あれから10年弱、この出来事は僕の中ですっかり消え
つつある過去の記憶となっていた。
それは実際にパピーとママンが入籍した、すなわち
『新たな家族の再編成』が完遂していたから、その際の
契りのイニシエーションであった、ビクターにデモ
テープを聴かせた想い出が僕の中で必要のない
メモリーになったからかも知れない…
(詳しくは■9 を)



しかしパピーは予想外の言葉を続けた!!

「そー言えば何故、あの後テープ持って行かなかった
んだよ?

ビビってたんじゃないの??」

「えぇぇっ!!!!??」


僕はあまりに咄嗟の事だったので、返す言葉を失った。
どうやら僕が考えていた程、これにはイニシエーション
の意味はなかったらしい事が、10年弱と言う時を経て
氷解したのだった…


考えてみれば、どんな凡人の、取るに足らない人間の
人生にも、分岐する選択肢は間違いなくいくつもある
はずだ。
『あの時、A高校ではなくB高校へ行っていれば、今の
俺はもっと良かったかも知れない…』

『あの時、A社ではなくB社で働いていれば、今の
俺はもっと良かったかも知れない…』

『あの時、A子ではなくB子と付き合っていれば、
今の俺はもっと良かったかも知れない…』


人と言うのは悲しいかな未来が見えず、正にその分岐の
上に立っている時には、的確な判断が出来ないと言う
運命に縛られている。
だが何年か過ぎると、誰もがその瞬間を過去の出来事と
して見る事が出来るようになり、物凄く冷静に客観的に、
そして正しい判断が出来るのだ。

『Bルートを選択するべきだった!!』
と。

時に人はそれを後悔し、時に人は居酒屋でブツブツと
語る。


ただ僕の中には不思議と後悔はなかった。
デビューしたらしたで、どうせ向こうでも修羅が待って
いる事は解りきっていたし、フリーの仕事に隣の青芝を
見る程、現実に夢を見られる自分ではなくなっていた
からだった。

そして何よりも、同じ辛い想いでも、音楽では受け入れ
られなかったものが、マンガでは受け入れる事が出来た
からであった!!


「持ってけば良かったのにさ…」

とパピーはボソッと言うと、話題は妹の娘の成長を
讃えるような内容に流れた。



こうして今でも僕は、時々この時の事を思い出す。

過去の栄光?
武勇伝?

いや、そんなもんではない。
自分にも選択肢があったんだ、と思う事が出来る
安心感とその根拠。
何かを捨てて今を選んだと考える事で、自分を奮い
勃たせようとする時の、妄想ネタとして、自分の胸の
中にそれは染みついた。

だがもし音楽の方に携わっていたら、今頃どーなって
いただろうか…?

まぁ実際そんな事は今更机上の空論だし、また
どーでも良い事に違いない。

ただひとつだけ確実に言える事は、
{最低レベルとは言えマンガでプロになれた僕。}
一方
『オマンコ』とか『金玉』等の卑語を連呼し、将来性
皆無であったアングラ音楽をやっていた僕。}

驚く事に後者の方が、比較すると女性からの支持が
いくらか高いのだ…
(と言ってもモテない俺にしては、ってレベルの話ね)

合コンや初対面の女の子の前で、当然今の僕は
「オマンコが…」などと言う話題は一切しない!!
それにも関わらず
【一応プロ作家】<【将来性ゼロの下品ロッカー】
と言う図式が成り立ってしまう…
どうにも納得が行かず、その一点に限ってのみ、僕の
胸には淡い後悔が残った…未だに…






■追記■

僕が32~33歳頃の事だ。
5年ぶりくらいに音楽活動をしていた頃の友人H
再会した。

会社帰りだと言うHはあの長髪からは想像も付かない
まともな髪型で、スーツにネクタイ、テカテカの革靴
と言ったステロタイプのサラリーマンに変貌していた。

ある意味、音楽活動の延長上のような職業に就いた僕と
違って、彼が音楽活動とは正反対の現在を生きている
らしい事が、言葉の端々から伝わってきた。

そして「あの頃はさ…」って言葉をやたら頻繁に
使った。


するとHがふと
「あの先輩どーしてるかな?」
と言ってきたのだ!!


僕「さ、さぁ…
実際俺も7~8年会ってないし連絡すらしてないよ」

H「今から電話してみよっか?」

僕「マジでッ??」

携帯で先輩に電話
 


しかし7~8年も前に関係がフェードアウトしている
相手の番号が、現在使っている携帯のメモリーに入って
いるはずもなかった。
度重なる機種変を経て尚、恐らくこの先かける事もない
と思われる、現在無交流の昔の知人の番号も、最新の
携帯の中に辛うじて何件かは生き残っているが、先輩
とつるんでいた頃、僕もHも携帯を持っていなかった
のだ…

H「そっか、考えてみりゃあ入ってる訳ねぇよな♪
アハハ…」

そう、携帯の爆発的な普及は、先輩と切れた年の翌年
くらいから始まったと記憶している。




2週間くらい経った後、Hからメールが来た。
メールの内容は例の先輩の事だった。

{ちょっと実家に行く用があったので(実家と
彼の住まいは結構近い)、私物の中の俺の昔の
アドレス帳で調べて電話してみたよ。}

彼のフットワークの軽さと好奇心の強さは昔から
変わらない。
僕も見習いたいところだ。

しかし
{ただ残念ながら「現在使われておりません」だって
さ。島根にでも帰ったんじゃん?}
との事だった…。

まぁそれが自然だろう。
僕の耳にもHの耳にも、先輩のメジャーデビューの話は
もちろん、何かしら変化があれば(例えば死んだなども
含め)誰かしらの口から、入らない訳がない。

もう生涯、完全に会う事はないだろう。




多くの若い人が音楽を愛して、音楽に裏切られて、
音楽に失望し、地方の人ならばやがて東京を去っていく。

たとえモードが変わろうと、ムーブメントが移ろおうと
この避けがたい人の流れだけは、何十年経っても、
何世紀経っても不変なのかも知れない。



おわり