スコ猫くまきち日和+ -2255ページ目

わたしが結婚恐怖症になったわけ②

25~26歳のころだったろうか?

当時は25歳になったらクリースマスケーキなんて言われた時代だった。

つまり、売れ残りね。

結婚年齢がどんどん30歳に近くなっている昨今では、隔世の感がある。



そんなころ、わたしは諸事情あって一度、東京での仕事を辞め、実家へ帰った。

いつかまた、東京に戻ってやるっ!!

と思っていたので真剣に就職するわけでもなく、

いろんなアルバイトを転々としてお小遣い程度は稼いでいた。

フリーターだ。そんな言葉の出始めだったんじゃないだろうか?

フリーアルバイターなんて言ってたっけ?

学生のときからライターをしていたので、

喫茶店やら輸入雑貨屋の売り子など、普通のバイトは新鮮で、面白かった。

しかし、バイト代だけでは再上京する資金なんてとても貯まらない。

ときどき寂しくなって、東京の友達に会いに行ったりしてしまうので、

貯金なんか全然できない。

だんだん八方塞がりの感じになってきたころ、高校の同級生から電話があった。

席は近くだったけれど、高校時代に喋った記憶はあまりない。

いきなり電話をかけてくるなんて何だろうと思っていると、彼はこう切り出した。



「あのさ、お見合いしない?」



「はい?」



「知人にね、ご縁をまとめるのが好きな人がいて。是非、同級生の女性を紹介してって頼まれたんだけど」



「いやぁ……、わたしはお見合いはしないよ」



「一応、釣り書きだけ出してさ。いい縁もあるかもしれないし。実は、会社の上司に頼まれちゃってて」



「でもなぁ……。お見合いはねぇ、趣味じゃないし」



うしろで母がわたしのTシャツのすそをひっぱっている。



「せっかくだから、お願いするだけでも」



みたいなことを言っている。

わたしより何より、あのころは母がいちばん焦っていた。

東京を離れた後悔で、当時のわたしはふさぎこむことが多かったのだ。

精神状態も安定しているとは言い難かった。



「結婚までいかなくても、男性とめぐりあえば何かが変わるかもしれない」



と、母は思っていたのかもしれない。

とにかく母はわたしは非常に奥手で、恋愛などしたこともないし、オトコとつきあったこともないと思い込んでいる節があった。

たしかに奥手だったが、そのころになれば多少の経験はある。

実は、つきあい始めたんだかなんだかという中途半端なオトコは、いたにはいた。

年頃だしね( ̄m ̄)ぷ

ん? もしかして、めちゃくちゃな片思いをしてたころかな?

まぁ、そんなこんなで宙ぶらりんなわたしとしては、とくに強く何か言えるわけでもなく、母親の期待と友人の義理に押されて、とにもかくにもそのお見合い斡旋を趣味としていたオジサンに会いにいくことになった。



母親が強引に着せたのは黄色に細かい水玉模様のヒラヒラのワンピ。

趣味も悪いし、腕のあたりがパンパンで(太ったんだな、田舎に帰って)全然似合っていない。

パンツ党のわたしとしては許せない格好だったが、なぜか素直に母親に従った。

母がとても心配しているのが痛いほどわかったからだ。

ここは、せめて行くだけ言って、親を安心させてやろう。

そんな気持ちだった。

わたしはけっこういい娘を演じていたのだ。これが大きな間違いだったんだけどね。



お見合い斡旋を趣味としているオジサンは、内科医院のお医者さんだった。

釣り書き(この言葉もすごいよね。男を釣る、女を釣るための書だぜ)を持ったわたしたち母娘が通されたのは、診察室だった。

入るやいなやオッサン(いきなり呼び方が変わるが)は、わたしをまず下から上までジットリと無遠慮な視線で眺め上げ、そして言った。



「いやぁ、いい体してるねぇ」



そしてなおもジロジロと観る。



「うん、うん、子供がポンポン産めそうだ、ワッハッハ」



そのとき、わたしの脳裏にはなぜか子牛を連れた母牛の姿が浮かんでいた。

親戚で乳牛を飼っていたせいかもしれない。



わたしは雌牛か?

子供をぼんぼん産んで、おっぱいピューピュー出す雌牛なのか?

結婚ってとどのつまりそういうことなのか?

子供をいっぱい産ませるために、大人はやいのやいのと結婚させたがるのか?

そう思いこんでしまった。



帰りの車のなかで、ふたりとも言葉少なだった。

母もショックだったのだろう。

わたしがお見合いを断ったのはいうまでもない。

このおっさんの口利きで見合いなぞしたら、雌牛にされる。

そんな被害妄想でいっぱいになっていた。



もともと結婚願望が薄かったわたしは、このことでさらに

「結婚なんて絶対にするもんか」と依怙地になったような気がする。



ンモ~ォ!