JJは女性自身の略なのか?
負け犬さんから『JJは女性自身の略?』というコメントをいただいた。
そう、たぶん、これは正解だと思います。
同じ光文社だし。
JJは、創刊当時は女性自身の季刊の別冊みたいな扱いだったと思います。
わたしが女性自身にバイトで入った18歳当時(そんな時から働いてるのだ・長い……)同じ部屋に編集部がありました。季刊誌だったから、出たばっかりだったのかな?
そのうち『ニュートラ』っていうのが当たってね。
新しいトラッドということで、ファッションのトレンドに新しい言葉をつけて明確化し、ヒットさせるという手法の先駆けになったんじゃないかと思います。
光文社って、そう考えると造語がうまかったんだね。
ある意味、編集者に優れたコピーライターの才能があったのかも。
月刊になってからは順調で、いつのまにか本家の女性自身を凌ぐ有名でかつイメージの良い雑誌になりました。ブランド信仰に火をつけたのも、JJです。
本家を凌いで発展した雑誌です。
JJには広告が入るし、取材OKでも、女性自身は断られるっつー状況は、バブル前からすでにありましたさ。
JJの成功で、JJ世代が年齢を経るのとともにCLASSY、VERY、STOPYと新雑誌を創刊し、今では光文社の屋台骨では? と。
わたしは凋落雑誌に関わってきたわけですが、バブルのころまでは女性自身のほうが断然もーかってる雑誌だったのです。
世の中の景気がよかったせいもありますが、100万部超えてたもん。
ほんとか? これでなんで売れるんだ? な~んて思ってました(^-^;
怒られるかな? 編集部もイケイケドンドンで、
まぁ、いい時代を過ごさせていただいたのかもしれません。
女性自身は昭和の雑誌だったのかなという気もしています。
わたしの世代だって自分で女性自身は買いませんでしたからね、当時から。
美容院や銀行で読むヒマつぶしという感覚が強かった。
JJで当てた読者モデルという形、街頭のオシャレさんを写真撮って来て載せるっつーのの本家も、たぶん、女性自身だったと思います。今では当たり前ですが、当時はね、珍しかったんですよ。
わたしの最初のバイト記者時代は、毎週のように街頭スナップでしたっけ。
「すみませ~ん、女性自身です」
と、原宿渋谷で声をかけ、写真を撮らせてもらって載せてました。
でもねー、断られる断られる。軒並み断られて、当時の女性は今より全然シャイというか、雑誌に自分が載るなんてとても恥ずかしいことだったような気がします。
まっ、断られる大きな理由のひとつに、女性自身っつー雑誌への評価もあったでしょうが。すでに芸能スキャンダル雑誌というイメージでしたから。
わたしの友達はいろんな形の『読者モデル』として、雑誌に登場してたものです(^-^;
アルバイトで入ったころ女性自身はちょっと売れてなかったりして、なんでもやってみよう、なんでもアリみたいな、勢いがあって。いろんなことにチャレンジしてみるっていう感覚に満ちた編集部でしたね。
写真とってストーリーマンガ作ったりね。海外ニュースなんて嘘八百がけっこうまかり通っちゃったりして。著作権、肖像権もいい加減だったので、激しいコラージュや毒たっぷりのパロディーも、ありありでした。
お笑いが『汚い関係』と言ったからって、そんな小さなことに目くじらたてるなんてみっともないゾという感覚だったよーな気がするなぁ。
おおらかな時代だったんですね。
みんなの感覚ももっとアバウトだった気がするし、今みたいに繊細ともいえるけれども神経質すぎなかったという気がしています。だから、もっとのびのびしてたのかな? そう考えると、やっぱりメチャメチャ面白かったんだなぁ。
わたしもいろいろ頑張ってたかも……なんて思い出したりして。
ということでした。
たぶん、正解だと思いますが。
なにぶん社員じゃないので。見聞きしてきた印象ですから。
機会があったらちゃんと社員の編集者に聞いてみますね。
あっ、でも今ってJJのほうがメジャーって感じだからな。
女性自身の略なんて認めたくないかも( ̄m ̄)ぷ
BlogTopへ
長々とすみません。
話が長いって歳とった証拠だなぁ(o^_^o)
せっかくだから人気blogランキングもよろしくです。
そう、たぶん、これは正解だと思います。
同じ光文社だし。
JJは、創刊当時は女性自身の季刊の別冊みたいな扱いだったと思います。
わたしが女性自身にバイトで入った18歳当時(そんな時から働いてるのだ・長い……)同じ部屋に編集部がありました。季刊誌だったから、出たばっかりだったのかな?
そのうち『ニュートラ』っていうのが当たってね。
新しいトラッドということで、ファッションのトレンドに新しい言葉をつけて明確化し、ヒットさせるという手法の先駆けになったんじゃないかと思います。
光文社って、そう考えると造語がうまかったんだね。
ある意味、編集者に優れたコピーライターの才能があったのかも。
月刊になってからは順調で、いつのまにか本家の女性自身を凌ぐ有名でかつイメージの良い雑誌になりました。ブランド信仰に火をつけたのも、JJです。
本家を凌いで発展した雑誌です。
JJには広告が入るし、取材OKでも、女性自身は断られるっつー状況は、バブル前からすでにありましたさ。
JJの成功で、JJ世代が年齢を経るのとともにCLASSY、VERY、STOPYと新雑誌を創刊し、今では光文社の屋台骨では? と。
わたしは凋落雑誌に関わってきたわけですが、バブルのころまでは女性自身のほうが断然もーかってる雑誌だったのです。
世の中の景気がよかったせいもありますが、100万部超えてたもん。
ほんとか? これでなんで売れるんだ? な~んて思ってました(^-^;
怒られるかな? 編集部もイケイケドンドンで、
まぁ、いい時代を過ごさせていただいたのかもしれません。
女性自身は昭和の雑誌だったのかなという気もしています。
わたしの世代だって自分で女性自身は買いませんでしたからね、当時から。
美容院や銀行で読むヒマつぶしという感覚が強かった。
JJで当てた読者モデルという形、街頭のオシャレさんを写真撮って来て載せるっつーのの本家も、たぶん、女性自身だったと思います。今では当たり前ですが、当時はね、珍しかったんですよ。
わたしの最初のバイト記者時代は、毎週のように街頭スナップでしたっけ。
「すみませ~ん、女性自身です」
と、原宿渋谷で声をかけ、写真を撮らせてもらって載せてました。
でもねー、断られる断られる。軒並み断られて、当時の女性は今より全然シャイというか、雑誌に自分が載るなんてとても恥ずかしいことだったような気がします。
まっ、断られる大きな理由のひとつに、女性自身っつー雑誌への評価もあったでしょうが。すでに芸能スキャンダル雑誌というイメージでしたから。
わたしの友達はいろんな形の『読者モデル』として、雑誌に登場してたものです(^-^;
アルバイトで入ったころ女性自身はちょっと売れてなかったりして、なんでもやってみよう、なんでもアリみたいな、勢いがあって。いろんなことにチャレンジしてみるっていう感覚に満ちた編集部でしたね。
写真とってストーリーマンガ作ったりね。海外ニュースなんて嘘八百がけっこうまかり通っちゃったりして。著作権、肖像権もいい加減だったので、激しいコラージュや毒たっぷりのパロディーも、ありありでした。
お笑いが『汚い関係』と言ったからって、そんな小さなことに目くじらたてるなんてみっともないゾという感覚だったよーな気がするなぁ。
おおらかな時代だったんですね。
みんなの感覚ももっとアバウトだった気がするし、今みたいに繊細ともいえるけれども神経質すぎなかったという気がしています。だから、もっとのびのびしてたのかな? そう考えると、やっぱりメチャメチャ面白かったんだなぁ。
わたしもいろいろ頑張ってたかも……なんて思い出したりして。
ということでした。
たぶん、正解だと思いますが。
なにぶん社員じゃないので。見聞きしてきた印象ですから。
機会があったらちゃんと社員の編集者に聞いてみますね。
あっ、でも今ってJJのほうがメジャーって感じだからな。
女性自身の略なんて認めたくないかも( ̄m ̄)ぷ
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長々とすみません。
話が長いって歳とった証拠だなぁ(o^_^o)
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