嘘の怖さと正しい日本人
中国で、たった一人の嘘が数万人の暴動になったというニュース。
今日はちょっと解説しちゃうぞ。
事件が起きたのは中国中部の重慶市。
サッカー日本代表がひどいヤジられ方をしたところじゃなかったっけ?
地元の労働者同士が口論になった。
重慶の人たちは熱くなりやすい気質なんだろうね。
口論はエスカレートして、労働者AさんがBさんを殴り、
殴っただけじゃ足りなくて咄嗟にこう叫んだ。
「俺は政府の局長だっ」
吐き捨てるように言うと、その場から逃げ去った。
見ていた人たちが、その話を次から次へと口伝した。
「局長が労働者を殴ったんだ」
「いきなりだぜ」
「悪いのは局長だったんだ」
「みんなで抗議に行こう」
結束力の固さは、サッカーの試合でも証明済み。
あっという間に数万人が市庁舎に集まり、政府庁舎を取り囲み、
警察車両を焼くなど大暴動に発展してしまった。
日本の大使館市庁舎でも放火や略奪があったらしい。
このニュースを聞いて「中国人ってやーねー」と、
簡単に切り捨ててしまうのはあまりにも早計だ。
背景に、市民の積み重なる不満がある。政府に対する批判がある。
ニュースにはこうあった。
<汚職のまん延など政府に対する市民の不信感が騒乱の根底にあると見られている>
たった一人の嘘が社会背景によっては数万人の暴力を生んでしまう。
そのことの怖さを、まず、感じるね。
今後の経済発展が期待されている中国。
しかし、抱えている国内問題の根はかなり深そうだ。
サッカー日本代表に対する暴言にも同じ背景があったと思う。
政府が市民の不満を抑圧するために、
仮想敵国として「日本」の存在を教育しているという話も聞く。
貧困、過重労働、個人の無力感のなかで、集団としての結束力は大きな力になる。
日本だって、そんな社会状況のなかで戦争に向かって行ったんじゃなかったっけ?
日本代表に対する暴言事件のとき、中国を批判するような報道のニュアンスが多かったけれど。
わたしはあのとき、声を大にして言いたかった。
中国人を非難するより、日本人選手をもっともっと褒めようよ、と。
日本人サポーターたちをもっともっと褒めようよ、と。
みんな立派だったよね。
ムキになって同じレベルで対決することなく、怒りを抑えて対処してくれた。
日本のミスに対する異常なほどの盛り上がり、ひどいヤジ、ただのアウェイじゃないプレッシャーも相当あっただろうに、日本は勝った。
命の危険にさらされそうなほどの状況で、毅然と、冷静に
自分たちの力を見せつけて勝った。
集団にまきこまれ、個人の感情を忘れて口々に罵っていた人たちの心のなかに、
きっとあの時の日本人選手の凛とした姿は、焼きついたはずだ。
全員じゃなくても、何人かでも、感じた人はいたはずだ。
それが、いずれ響いてくるときがきっとある。
わたしはそう思いたい。
立派だったよ、選手たちも。そして、サポーターたちも。
サポーターは、中国の反日状況を知ってからも応援しつづけた。
危険を覚悟で応援にかけつけた。
その姿勢も、その熱意もとても立派だったと思う。
集団の暴挙を解決するのは、暴力じゃない。
暴力は次の暴力しかうまない。
あのとき、わたしはそのことを確信した。
日本人やるじゃん。若者たち、いいじゃん。
キナ臭い世界状況のなかで、今後、力を発揮するのは、
あのときの日本選手、日本人サポーターのような
静かでも凛とした姿勢を貫ける人たちの姿ではないだろうか。
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今日はちょっと解説しちゃうぞ。
事件が起きたのは中国中部の重慶市。
サッカー日本代表がひどいヤジられ方をしたところじゃなかったっけ?
地元の労働者同士が口論になった。
重慶の人たちは熱くなりやすい気質なんだろうね。
口論はエスカレートして、労働者AさんがBさんを殴り、
殴っただけじゃ足りなくて咄嗟にこう叫んだ。
「俺は政府の局長だっ」
吐き捨てるように言うと、その場から逃げ去った。
見ていた人たちが、その話を次から次へと口伝した。
「局長が労働者を殴ったんだ」
「いきなりだぜ」
「悪いのは局長だったんだ」
「みんなで抗議に行こう」
結束力の固さは、サッカーの試合でも証明済み。
あっという間に数万人が市庁舎に集まり、政府庁舎を取り囲み、
警察車両を焼くなど大暴動に発展してしまった。
日本の大使館市庁舎でも放火や略奪があったらしい。
このニュースを聞いて「中国人ってやーねー」と、
簡単に切り捨ててしまうのはあまりにも早計だ。
背景に、市民の積み重なる不満がある。政府に対する批判がある。
ニュースにはこうあった。
<汚職のまん延など政府に対する市民の不信感が騒乱の根底にあると見られている>
たった一人の嘘が社会背景によっては数万人の暴力を生んでしまう。
そのことの怖さを、まず、感じるね。
今後の経済発展が期待されている中国。
しかし、抱えている国内問題の根はかなり深そうだ。
サッカー日本代表に対する暴言にも同じ背景があったと思う。
政府が市民の不満を抑圧するために、
仮想敵国として「日本」の存在を教育しているという話も聞く。
貧困、過重労働、個人の無力感のなかで、集団としての結束力は大きな力になる。
日本だって、そんな社会状況のなかで戦争に向かって行ったんじゃなかったっけ?
日本代表に対する暴言事件のとき、中国を批判するような報道のニュアンスが多かったけれど。
わたしはあのとき、声を大にして言いたかった。
中国人を非難するより、日本人選手をもっともっと褒めようよ、と。
日本人サポーターたちをもっともっと褒めようよ、と。
みんな立派だったよね。
ムキになって同じレベルで対決することなく、怒りを抑えて対処してくれた。
日本のミスに対する異常なほどの盛り上がり、ひどいヤジ、ただのアウェイじゃないプレッシャーも相当あっただろうに、日本は勝った。
命の危険にさらされそうなほどの状況で、毅然と、冷静に
自分たちの力を見せつけて勝った。
集団にまきこまれ、個人の感情を忘れて口々に罵っていた人たちの心のなかに、
きっとあの時の日本人選手の凛とした姿は、焼きついたはずだ。
全員じゃなくても、何人かでも、感じた人はいたはずだ。
それが、いずれ響いてくるときがきっとある。
わたしはそう思いたい。
立派だったよ、選手たちも。そして、サポーターたちも。
サポーターは、中国の反日状況を知ってからも応援しつづけた。
危険を覚悟で応援にかけつけた。
その姿勢も、その熱意もとても立派だったと思う。
集団の暴挙を解決するのは、暴力じゃない。
暴力は次の暴力しかうまない。
あのとき、わたしはそのことを確信した。
日本人やるじゃん。若者たち、いいじゃん。
キナ臭い世界状況のなかで、今後、力を発揮するのは、
あのときの日本選手、日本人サポーターのような
静かでも凛とした姿勢を貫ける人たちの姿ではないだろうか。
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