スコ猫くまきち日和+ -2214ページ目

じつは避難所体験がある。

薄暗い体育館。

避難口の緑のランプ。

ぼんやりした光に照らされて、無数の埃が宙を舞う。

あちこちから聞こえてくるのはセキ。

風邪が蔓延していた。



ニュース班の記者として駆け出しのころの話だ。

大島の三原山爆発で、島民全員が東京都へ避難してきた。

避難所生活は何日目だったんだろう。

2週間ぐらい経っていたんじゃないだろうか?

女性記者3人で、都内の避難所のひとつ、港区田町のスポーツセンターへ行った。

あふれんばかりの被災者たちは皆、疲れ切った表情をしていた。

洗濯場にあてられた2階の渡り廊下部分では何十台もの洗濯機がフル回転し、

大量の洗濯物が観客席の手すり部分に渡されたロープに干されていた。

万国旗のようだった。



布団を積み上げた壁で、各家庭が仕切られていた。

スペースは人家族畳み2畳~3畳といったところ。

寝るときも二人で1畳分程度。

シングルベッドに2人で寝る感じだ。



冬だった。

1月だったと思う。

被災地の避難所ではないから、電気も水道もある。

暖房も入っている。

それでも、圧倒的なその風景に気押されて、気持ちは引きっぱなしだった。

同い年のS記者はエネルギッシュに取材していた。

人当たりよく、人見知りしない彼女は、島民の人たちに臆せず声をかけていく。

しかし、すでにある程度の時間が経っているので、ほとんどの人は取材なんてうんざり。マスコミなんて冗談じゃない、もうたくさん……という雰囲気。

わたしはただ呆然とメモ帳片手に突っ立っているだけだった。

ベテラン記者のNさんは、様子をみて、話してくれそうな人を見つけていく。

わたしはただ呆然と立っているのが精一杯だった。



信じられない光景だった。

現実感が湧いてこない。

目の前の光景が、今、自分の立っている場所が、映画のなかの1シーンのように見えていた。

ふわふわと宙に浮いているような気分だった。

早く帰りたい。

そればかり思っていた。



S記者が声を弾ませて戻ってきた。



「ねぇ、今夜泊まってもいいよっていうご家族、見つけたの」



わたしはどこか人ごとだった。



「へ~え。すごいね」



彼女は、さも当然というように言う。



「3人一緒だよ」



「ええっ???」



「ご家族の二人が、今夜は都内の親戚の家に泊まりにいくんだって。それで、毛布が余るから、泊まってみればって」



「迷惑だよ、そんなの」



「でも、泊まってみないと本当の被難者の気持ちはわかんないでしょう」



彼女はもう決めていた。

絶対に3人で泊まるんだ、と。

わたしは、密かに期待した。

先輩記者Nさんが反対してくれるのを。

ところが、N記者も泊まるという。

N記者は、もともと取材先のご家族となかよくなって、そのお宅に泊めていただき、生活感あふれる取材データを書くということで定評のある人だった。



「でも、夜の様子を取材するんなら、ひとりだけでいいじゃない。その分、他を回ったほうが……」



わたしは必死で抵抗した。

泊まるのなんかイヤだ。

しかし、彼女は強硬だった。

観念して、そのご一家に挨拶にいくというK記者についていった。

ちょうどお昼時。お弁当が配られていた。

のりまき弁当だった。

危ないということで、火の使用は禁じられていたんじゃないだろうか?

もう、あんまり覚えていないけど。

一家の主婦は、とても人のよさそうな、面倒みのよさそうなおばちゃんだった。



「見てるだけじゃなくて泊まってみてちょうだいよ。どんなに大変かわかるから」



そう笑顔で言う。冷たい床にゴザや毛布だけが敷かれた家族のスペースに、わたしたち3人も身を縮めるようにして座った。



「今夜は、おばあちゃんとわたしだけだから。ひとりがわたしと一緒の毛布で寝れば、3人泊まれるから」



毛布は2人で1枚。

避難者全員がそうだったのか、その家族の分であまっているのが1枚だけだったのかは忘れてしまったけれど……。

おばちゃんの膝の前には、輪ゴムを外されないままのお弁当パック。

お茶をすすめてくれるおばちゃん。



「遠慮なさらないで、お昼ごはん召し上がってください」



先輩記者が声をかけた。

おばちゃんは顔を曇らせ、溜め息をついて首を横に振る。



「こういうのもね、ありがたいことだけど……。わたしたちは外食してくるつもりなのよ。その辺の食堂で温かいもの食べたほうがね」



おばちゃんは島では裕福な暮らしをしてきたようだった。

避難がいつまでになるのかまったく見当もつかないなか、現金は大事に使っていたようだったが、比較的余裕のあるその一家は、よく外食に出るのだという。



「捨てるのももったいないから、食べてってくださいよ」



おばちゃんに勧められ、3人同時に断った。



「いえいえ、そんな。都からの支給なんですから」



おばちゃんはまた溜め息をついた。さっきよりもっと深い溜め息だった。



「そうよねぇ……。こんなのねぇ……食べたくないわよねぇ」



わたしたちは息を飲み、ありがたく素直に、お弁当をいただいた。

味なんて全然わからなかった。

冷たくゴツゴツした感触が喉を伝って落ちていった。



布団を積み上げただけの壁。

わたしたちの様子は他の島民の人たちにも一目瞭然だ。

みんな疲れ切っていた。

疲れ切って、ストレスでいっぱいいっぱいになっていた。

そんな人たちからは、わたしたちはどんな存在に見えただろう。

いつかえれるのかわからない。

島が、家が無事なのかもわからない。

そんな不安をかかえ、不自由で不便な避難所生活が淡々と、延々と

続いていくように感じられていたはずだ。

一歩、外に出て街を歩けば、海を隔てた島の災害など、

もうすっかり忘れてしまったかのように楽しげに、忙しそうに、

普段となにも変わらない生活をしている人たちがいる。

それはどんな思いだろう。

おばちゃんの後ろで、おばあちゃんが横になっていたが、背中を向けたままだった。

ふと見上げると、避難所の居住地帯を見下ろせる2階部分でカメラを構えているカメラマンが見えた。わたしたちのカメラマンはその日は別の避難所に行っていたから、新聞社のカメラマンだったのかもしれない。かなり離れていたけれど、なんとなくその突き刺すような視線を感じたように思った。



夜になり、消灯時間間際に、わたしたち3人はおばちゃん一家のスペースに戻った。

先輩記者がおばちゃんと一緒に1枚の毛布、

S記者とわたしが、もう1枚の毛布にくるまった。



想像していた以上に静かだった。

みんな息を殺してジッとしている。

そういえば、避難所の、その寝泊まりのスペースでは、昼間でさえあまり声はしなかった。けっこう人はいたのだが、おしゃべりも控えられ、笑い声など聞こえなかった。

聞こえるのは、ギュウギュウ詰めになって何百人もが暮らすスペースのなかで、次々に感染していった風邪で苦しむ人のセキだけだ。

眠れない。

全然、眠れない。

とにかく息を殺してジッとしていたが、とても眠れそうになかった。

天井をみあげれば、薄暗がりのなか、グリーンの非常灯に照らされて無数の埃が舞っている。

このまま朝まで我慢したとして、それで何が書けるというんだろう。

わたしはソッと毛布を抜け出した。

S記者は半分、寝ぼけていたのかもしれない。



「ちょっと家が気になるから、帰ってくる」



「……うん。戻ってくるでしょ」



「うん」



わたしは嘘をついた。

戻る気なんかサラサラなかった。

そのまま自分の小さなアパートに帰った。

6畳の畳の部屋に3畳ほどの床、建物はかなり古い木造で、共同トイレ、共同炊事場という代物だ。

当時はまだ仕事復帰したばかり。めちゃくちゃ貧乏だったし、そんな自分がちょっとミジメな時期でもあった。

でも、そのときほどその小さなアパートが居心地よく感じられたことはなかった。

布団を敷くと、ぬくぬくした掛け布団と敷布団の間にくるまって、逃げ込むように眠りの中に強引に入っていった。



翌昼になって、やっと目が覚めた。

ふたりとも怒っているだろうと思った。

なんて言い訳しようかな。



あれこれ迷いつつ、とりあえず編集部に電話をいれた。



「すみません。あの、今日はスポーツセンターじゃなくて、社会福祉会館のほうに来てまして。これから、スポーツセンターに戻ろうと思うんですけど」



あのころのわたしは、本当に嘘が上手だった。

編集者の口調はなぜか慌てていた。



「いや、行かないでください」



「でも、NさんとSさんが待っていると思うので」



「いや、行かないでください。今日はとにかく上がってください」



わたしがいない間、ふたりは避難所の詰め所に呼ばれて、取材中止になったという。

その翌日に出た新聞の見出しには、こうあった。



「島民装いチャッカリ弁当、チャッカり毛布」



チャカしたような見出しに、つい吹き出しそうにもなるのだが、ふたりの手前、そうもいかない。正直、よかった、やっぱり帰って正解だったと、そのときは思ったけれど。



行き過ぎた取材だと、大上段から批判めいて書かれた記事の内容には腹が立った。

編集部も新聞社に抗議してくれたし、避難所の人も、取材者が泊まったらしいという情報が入ったので説明を求めただけで、特におとがめなしだったそうだ。

それでも、新聞の差し止めは間に合わず、2人の名前が載ったままの新聞が一部地域で出てしまった。

まるで犯罪者のように。

わたしの名前だけ出なかった。

チャッカリ弁当、チャッカリ毛布は同罪なのに。



悪運が強いと思っていたけれど、今になって、やっぱりあのとき、ほかの二人と一緒に朝まで泊まって、一緒につかまっておくべきだったかなという気もしている。

また、違う風景も見られたかもしれない。

せっかく泊めていただいたのに。

ご挨拶もせずに抜け出して、逃げ出したなんて……。

もしかしたら新聞に乗った名前が、自分にとってのある種、勲章になったかな、などとも思う。



判断は別れるところだけど。

そうは思っても、今でもわたしはきっと逃げ出すんだろうな。

でも、お弁当だけはやっぱり食べちゃうんだと思うな。