わたしがマンションを買った理由② | スコ猫くまきち日和+

わたしがマンションを買った理由②

ゼロからの出発
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大学進学と同時に上京した私は、一度、田舎(長野)に四年ほど
戻っていたことがありました。
ところが、どうしても東京での気楽な生活が忘れられず、
二十七歳の時、お金もないまま、再上京。
当時の私は、フリーライターでなく、フリーターでした。
パン屋でバイトしたり、音楽関係の事務所でチケットを売るバイトをしたりと、
家賃三万九千円、共同トイレ、共同炊事場、お風呂なしという
アパートに住んでいました。

学生の時でも、共同トイレというアパートは、
入学したての一年半ほど住んだだけ。
共同炊事場なんて初めての体験でした。
タイル張りの、昔の映画に出てきそうな古い台所。
トイレの水洗は、上に木の箱がついていて、
そこから下がっている鎖を下に引っ張ると水が流れるという
学生時代にも見たことがなかった水洗システムでした。
ただ、さすがにこんなに古いアパートに住もうという人は
そうそういなかったらしく、部屋は他に二つあったんですが、
私が住んでいたほとんどの時期、空いていたので、
共同炊事場といっても、私がひとりで使っていました。

布団を一組、田舎から送ってもらい、食器も学生時代に使っていたものだけ。
食器棚も買えなければ、最初はテレビも電話も入れられませんでした。
車が通ると、ガタガタ揺れるほどのアパートで、
昔ながらの大きな一間の押し入れがあり、
そこに段ボール箱に包装紙を貼って置き
食器入れにしたり、下着入れにしたり、洋服入れにしたりしていました。
そんな工夫が、また、楽しかったんですね。
少ないアルバイト代でも、自分ひとりの力で自分の生活を
少しずつ作っていくことに大きな満足感を感じていました。

たぶん、それは、結婚して、ふたりの生活を築く喜びと同じ気分なのでしょう。
でも、そのときの私は、誰かに頼ってしまいたくなかった。
一度、頼ってしまうと、ずっと頼ってしまって、
ひとりでは何もしない自分をよく知っていたからです。

学生時代から、記者のアルバイトをして生活費を稼ぎ、
仕送りを止めてもらってすっかり自立できた気でいた私が、
田舎に帰った途端に、満足に稼げず、お小遣いにも窮するようになりました。
それを自分でどうすることももできなかった、という後悔がありました。
今度こそ、一から、いえ、ゼロから自分の生活を築いていきたい。
そんな想いがかなり強かったように思います。

あの時、古くて柔らかく黄色くなった畳があるだけの六畳間に座って、
「ああ、今がゼロなんだ」
と、思った時、お腹の底から笑みが湧いてきた自分に、自分で驚いたものです。
何もない心地よさを感じたのは、あの時だけだったなと、
今となっては、懐かしいような気がします。
あの時の強さを、私は今ももてるでしょうか? 非常に疑問です。

貧乏だったくせに、そのボロアパートは東京都心(港区麻布十番)にありました。
郊外に行けば、もっといいアパートを安く借りられたでしょう。
でも、アルバイト先に近く、バス一本、もしくは、自転車で通えるその場所は
交通費がかかる郊外のアパートよりも、安くあがるという計算でした。
風呂なしとはいえ、近くの銭湯は有名な十番温泉です。
真っ黒のお湯で身体の芯から温まりますし、
風呂上がりはツルツルになって、快適でした。
そこで、一年半、暮らしました。
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