相変わらず PCを開けば


介護や 認知症に関する記事を見ています


そんな中で 記事の内容に違和感を感じたことを少々


家族による虐待の記事の中で


認知症の母親を介護していて 仕事を失い 


介護をしながら出来る仕事を探しても見つからず


生活保護も受けられず 生活が困窮して


持金がなくなって 母親を殺して 


自分も死のうとしたが死にきれなかった 事件で


この介護者が 裁判の中で


介護は負担ではなかった 母親が可愛かったと述べたそうです


この心情に注目して 「可愛い」 の見方が述べられています


「可愛い」 は 幼い子への感情や 愛犬や愛猫が自分になついたとき


等に 感情を表現する言葉として 「可愛い」があります


その言葉は 自分が可愛がる対象が 自分の意のままになるときに使われます


って 記事がありました


これって 一寸違うんでないの? って思いましたね


「可愛い」って 無条件でないの?


孫を見ていても 最近は しつけの意味もあって


時に叱ったりすると 涙を流して 目をこすりながら 見返します


それに 「いや」 とはっきり言って 意のままになんてなりません 


そんなときの孫の表情や言葉でも 可愛いです


幼い子を見ると 例え 見ず知らずの 他人の子であっても


「可愛いって」思います



婆の在宅介護をしていた時でも 


穏やかになってからも 意のままになることなんて 少なかったです


でも 時に可愛いと思ったことも 多くありますよ


この心情の中には 憐れみや 同情 哀れさ 等


色々な感情が混じったものです



「可愛いって」 そのすべてを受け入れることから


生まれる感情では無いでしょうか



この事件の介護者は 絶望感や 憐憫の情や 自らを奮い立たせる感情や


様々な 感情の起伏の上 何かの拍子に 事件に至ったのではないでしょうか?



認知症の介護をしていると 


「早く死んでほしい」 「殺してしまいたい」 って 思うことは


よくあることです


事件になるか 踏みとどまれるか は 


ホンの一瞬の差で有り 紙一重なんですから・・・


       

        
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