今日の一言


「おまはんは なんでもできるで いいな」



婆は 一人で長くいると 不安感が擡げてきますが


ちょっと一言 


例えば 「何時も傍にいるよ」 「隣の部屋にいるよ」


と言えば 安心しています


婆が 如何に安心しているか?のエピソードを


朝の着替えの中から ちょいと紹介します


八割方は お尻と 前の方を拭いている時の会話です


以前に書いた記事に重複する会話もありますので ご了承を



「おまはんも えらいこっちゃな こんなことまでしんならんで」


「誰のせいや クソババのせいやないか」


「そらそうやけど 仕方ないわな」





「こんなことまで してもらって すまんこっちゃな」


「そうや 年取って 出来んようになったで 仕方ないわな」


「誰が 年取ったんや」


「ばあちゃんや」


「ばあちゃんて誰や?」




「おまはん 好きで やってるのか」


「だーれも 好きでやらへんわ」


「そらそやわな」


「おまはん 上手やな 誰に習ったんや」


「こんなこと だーれも 教えてくれへんわ お尻が臭いでやってるんや」

「そんなら そういうことに しておけばいいわ」


「おまはんは なんでも 上手にできるな」


「こんなこと 上手にできたないわ」


「上手にできた方がいいやないか」


「上手にやらんと おしっこ臭いの」


「誰の おしっこや?」


「クソババア あんたのおしっこ」


「私 おしっこ しやへんよ」


「そうや 知らんうちに出るだけや」

「そんなこと 覚えておらん」



などなどと 色々あるんです


そして お尻を拭いて ぴしゃりと一発


「なんで そんなことするんや」


「ピシャッツとすると 元気が出るの


「そうやろか」


一二回はOK 三回以上になると


「そんなことしんさるな 痛いやないか」


「誰が やったんや」


「おまはんやないか」


「そうか おまはんが やったんか」とスリスリ



たったそれだけで 安心して笑顔になります


どこまで 解っているのか? 解っていないのか?


理解力が有るかどうかなんて もうどうでもいいこと


一人で ご飯が食べれて 


後の事は やらなければならない事を


強く言ったり 優しく言ったりで


一瞬でも やろうとすれば それで十分


少しづつ 終末期に 近づいているとは言え


不安感さえなければ 


不穏になることもなく


それなりに 穏やかに過ごせ


最低限のことは なんとか維持できるのでは?


と 感じることが 多くなりました



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