夕方、ご飯を炊く用意をしていて、ふと昔(大昔かな?)の事を思い出しまた。
子供のころ、8人家族で、小学校5年生頃から、ご飯を炊くのは、
私か、従兄(小一から中3まで一緒に暮した)の役目でした。
まだ昭和20年代の事で、家は農業をやっていましたが、本当に貧しく、
今のように、銀シャリではなく、麦御飯でした。
しかも、なんと、麦が7割、米3割の御飯でした。
一日4升炊いても、足らなくて、サツマイモを4升炊きのお釜に一杯も煮て、
普通の麦(大麦の事)では、量が無いから、ビール麦を入れて炊いたことも有りました。
さすがにこれは不味かった、けど 沢山食べたな。
おかずは、漬物と野菜(漬物も野菜か)ばかり、
肉は、一年に一度お正月に、卵を産まなくなった、鶏を潰して食べるだけ。
何時も、お腹を空かしていて、腹に入るものは何でも食べて、
小学校3年くらいの時だったかな?
桑いちごを、ムッチャクチャ食べて、顔色が紫色になるまで食べて、
母が驚いて、無理やり吐かせたこともあったっけ、
貧しかったけれど、何時も家族が一緒に成っていて、
良く採れた、野菜なんかをご近所さんに上げたり頂いたり
隣近所も助け合って生きていたっけ、
昔、よくこんなことを言いました。
お米は、八十八の手が掛かっているから、粗末にしてはいかん、粗末にすると罰が当たるって、
今も、お米生産農家の皆さんは、大変な苦労をされているのでしょうが、
消費者には、そのご苦労が中々伝わらない世の中になってしまいました。
この60年の時代の変化は、余りにも激しく、60年前の世界は、別の世界だったように感じます。
そういえば、昨年の秋、ホームセンターに、
足踏み式の脱穀機が有るのを見かけ、一寸びっくりすると同時に、懐かしく感じました。
何の意味もないかもしれませんが、
時々、昔を振り返って色々書いて行こうかなって思います。
婆が、徘徊に行くってうるさいので、今日はこれまで、
最後まで読んで下さって有難うございます
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