昨年の8月以来に
書こうとしたのに、全文消去していて

なのに、それほど惜しくもなく…

太陽神経叢的な凝りや自我の歪みに
コントロールされなくても

生きていけるんです

という内容を
ややこしく書いてた訳ですよ


昨日見つけた夜空には金星
アフロディーテが梵←そよぎ!
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梵はブラフマン!
我はアートマン!

梵天は我を調整するのかもしれませんね…

なんて

自分がこの流れに超感心してます

宇宙的になってきましたね!

これからにワクワク💖



昨日はさいたまの氷川女軆神社にお参りしてきました。

ほど近い、と言っても徒歩20分ぐらいの場所にある輪廻というお店で、

沖縄の展示を見て、器、キッチン雑貨等、

女性のよろこびそうなものに触れた後だったこともあってか、

自分自身が女性的なエネルギーに包まれたようになっていて 
(…個人的な実感としては不安感につながる、女性エネルギーへのねじれもあるのですが…)

神社の結界で弾かれる質のものは身にまとっていなかったようで、

いつになくエネルギー的にはすんなり、、お参りができました。

余談ながら、

境内で身分証明書の類を全て落として散らかてしまい

これはこれで、いつにない失態でしたが

全ては拾える(笑)

ひとつぐらいだったら、後で遺失物になっていたような気もしながら、ホッとしますね…。

参拝後には、
穏やかな状態にバランス調整されつつ

自然に調和する、 
その途中にある、開き、解き放つ回路。

それに対し、快く受容出来ることを願いながら、、、

現状、個人の内側では、違和感があることを受け止めます。



昨年も8月にも、実は参拝していて

記事を読んでみると、  

テーマ的なものを追いかけていた気もしますね。

それも何処かで誰かが言っていたことに感化されていたようなところもあるし、

実感に蓋をしながら、

自然の美しさとして、

霊性に同化出来るような気になっていた淡き表層というか、

その時は、作品創作に向き合っているつもりだったけれど、

実感をよそに何かを追いかけ始めては

ギクシャクするエネルギーに出くわしたり、本当はしていたのに、

感じない振りをしていたり。

エネルギーがカタチに成らない方へ

図らずも向かっていたんだと、

改めて振り返ることが出来るのは

よきことでした。







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《終わりなきパリ》、そしてポエジー
アルベルト・ジャコメッティとパリの版画展


東京大学駒場博物館でこちらの展示を見てきました。

版画展ということでリトグラフとして描かれたもの

そのフレームとして切りとられた情景は

時に、身体でもあり、

その線の連なり

その遠近感というのか、距離感が私には心地よさを感じさせてくれました。

リトグラフなので、紙に印刷されている二次元の作品として、留めて見ることも出来るのだと思いながら、

なぜかしら、次元を超えた奥行きに見入っては、

この作品の描かれた場所に自分が居るような気にもなってきたり、

だからといって、

迫りくる躍動感にのみ込まれてしまうものとは違う、


私を脅かされない、自分の呼吸で佇むことが出来る。空間。


その後、主題としては
ル・コルヴィジェの作品について、

講演会で語られていたのは、

コルヴィジェは画面の前に突出するような描き方をするのに対して、

ジャコメッティは、画面の奥に向けて後退させ、遠ざかる/遠ざけるような描き方をしているということ。

視点の違い、それは、

リアリティの違いということでもあるように思いながら、

コルヴィジェが突出させて描いているのは、

それは、生命の痕跡として残るようなものでもあります。

貝殻のように

波の向こうに遠ざかり
漂流の果てにかえるものの普遍性。


ジャコメッティは
都市の漂流を描いては、

遠ざかる情景の先に

自身にとっての普遍性を感じようとする眼差しを持っていたのでは⁈

という想像をしながら、


普遍に向かうエネルギーは、

ポエジーとしてその痕跡を残すことで、

過去のものではなく、

現在に息づくことも出来るあらわれなんだという、

そのリアリティに出会えたような気がしています。

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