【雑感】80年の節目で浮かんだこと | び〜さんブログ

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過去の振り返りのために、日記として記事にしてます。気分次第の不定期更新です。

アメンバーは個人的な備忘録として使っていますm(_ _)m

今年は80年の節目という言葉に関連し

たくさんの内容が発信されてしました。


周りにそれを諭す人がいなくても

SNSやメディアの通知で知れてしまう現在


この機会にと、いろいろな発信を見て思ったコト

雑感としてのメモとなります。







この国では80年間も戦争がおこっていない

世界的に見ても珍しい国だ

という情報が流れていた


他の国々は、何かしらの争いごとがあり

そんなに長い期間なにごとも無いコトが無い

という事なのか…








今は、キーワードから すぐに

様々なメディアやデバイスを通して拡散され

集中的に 無意識でも インプットされる


短期集中では、

インパクトにより印象にのこる


長期的な擦り込みは、

知らずのうちに既成事実化され印象に残る







時間の半分以上は仕事に絡んで費やしているため

圧倒的に仕事を通じての出来事が多いが、


最近、

自分の居心地のよいバランスを崩さざるえない

そんな選択肢が自分の中にあることを知る


「もう一皮」自他共に認識している「細胞壁」

その薄皮一枚が常に境界として存在するのだが

これを破り順応することを進化というのか


ただ、直感的に、

今なら多少バランスを崩してみても大丈夫

そんな気もしている









戦争を知らない世代が増え

身内から直接、真実を語り継がれる機会も減り

80年経った現在


戦争の本当の恐ろしさを知るには

体験した人から直接受け取るのがよい

と思うが それも なかなか難しい


正しく遺す ことの大切さと難しさ










物事の事実、真実を知ることは

頭使う、時間かかる、大変だ


面倒だから詰め込み的な一方通行の情報で

つい、疑わず よしとし 済ませてしまう


色んな角度から物事を見て 聞いて 知って

そして自らが判断すること の大切さ


今さら再認識することができた










当時、学校で教えられた歴史観は

時代の都合の良いように形を変えていく

(鎌倉幕府や坂本龍馬などが例)


それは大昔から当たり前のことのため

何も驚くことはない


資料館 教科書 出版物 報道 

デジタルデバイスからの情報


いずれの情報源からでも

このプロパガンダが含まれていることを

肝に銘じて 自分で読み解くしかない











よりよい方向に

仕事も個人もなかなかヘマばかり


それを挽回せんと

現状認識、目標確認、対策を考え、実行する

と教わったが、残念ながらコレが苦手


欲が強い人は 明確に取り組めるのだろうな

自分に素直な人は 邁進できるのだろうな

競争心ある人は 自分を鼓舞し進むのだろうな


「動機」という原動力は強い










反省の弁を述べても

何に対して反省しているのか


子供心に 自覚するときもあれば

なんだかよくわからないときもある

残念なことに 今も変わらずである


反省は、何故その判断に至ったのか

改めて考えることでもあるかと思う


ならば、何故この反省に至る事態が起きたのか


ことの始まりを知るべく、

ネットの世界よりいろんな意見を聞いていたら

大東亜戦争 開戦の詔勅というのがあるのを知る


開戦の詔勅


現代語訳を自分の理解用に加筆した

※必ずご自身で出展元の原文を確認ください

昭和16年12月8日(1941年)


天皇より
忠実で勇敢な日本国民にはっきりと示す。

「米国」「英国」に対して宣戦を布告する。

陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、

政府関係者は、勤めに励んで職務に身を捧げ
国民は、おのおのその本分をつくし、

一億の心をひとつにして国家の総力を挙げ
この戦争の「目的」を達成するために
手ちがいのないようにせよ。

「目的とは」

東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事

それは、明治天皇、大正天皇が構想された遠大なはかりごととして、常に心がけている事

各国との交流を篤くし、
万国の共栄の喜びをともにすることは
※「帝国の外交の要」としているところ

今や、不幸にして、
米英両国と争いを開始するにいたった。

まことにやむをえない事態となった。

このような事態は、私の本意ではない。 
(望んではないし本意ではない)

中華民国政府は、
(1912年に辛亥革命で清朝が倒れた後に成立した中華民国の政府で、その後、国民党と共産党の内戦により、49年に台湾へ移り実効支配している政府のこと)

以前より我が帝国の真意を理解せず、
みだりに闘争を起こし、
東アジアの平和を乱し、
ついに帝国に
武器をとらせる事態にいたらしめ、
もう四年以上経過している。
(四年以上:1937年盧溝橋事件か?)

国民政府は南京政府に新たに変わった。
(27年に蒋介石が南京で樹立した国民政府と
40年に汪兆銘が樹立した国民政府があった
このタイミングは後者の政府と思われる)


この政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、

ともに提携するようになったが、
重慶に残存する蒋介石の政権は、
米英の庇護を当てにし、
兄弟である南京政府と、
いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

米英両国は、
残存する蒋介石政権を支援し、

東アジアの混乱を助長し、
平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。

あまつさえ、くみする国々を誘い、
帝国の周辺において、軍備を増強し、
わが国に挑戦し、
更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、
ついには意図的に経済断行をして、
帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

(米英の力を借りた蒋介石らが、
周辺国を巻き込んで妨害工作を行っている)

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、

米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、
むやみに事態の解決を遅らせようとし、
その間にもますます、

経済上・軍事上の脅威を増大し続け、
それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態がこのまま続けば、
東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。

(東アジアの安定とは、列強の植民地支配ではなく、各国が自立できるよう働きかけたことか?開戦前、どの国がアジアの国々を植民地支配していたかの地図をみると、そう思えてくる)

ことここに至っては、我が帝国は今や、
自存と自衛の為に、決然と立上がり、
一切の障害を破砕する以外にない。

 皇祖皇宗の神霊をいただき、
私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、
祖先の遺業を押し広め、

すみやかに禍根をとり除き、
東アジアに永遠の平和を確立し、
それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

初めて知り、見て、読んだ。

学校で教わらない歴史に衝撃を感じる


このような、状況、理由、判断があり、

始まっているということ


他国の妨害により、

止むに止まれぬ状況になっていたこと


それに対して、意思表示をし、行動して、

最終的には押さえ込まれた ということ



昭和16年12月8日(1941年)開戦の詔勅

昭和20年6月23日(1945年)沖縄慰霊の日

昭和20年8月6日08:15 広島原爆の日

昭和20年8月9日11:02 長崎原爆の日

昭和20年8月14日(ポツダム宣言受諾決定)

昭和20年8月15日12:00 玉音放送 武装解除

昭和20年9月2日(降伏文書調印)休戦協定

8月15日〜9月3日 対日戦勝日(戦勝国側)

昭和27年4月28日(1952年)

 サンフランシスコ平和条約 戦争状態終結


これらの日付を

改めて知るコトができたのは

そういうタイミングだったのかもしれない









学校では、しっかりと教えてもらってない

という認識があるとしたら…


始まりを知ることは

自身で判断する上でも とても大切


表向き、あとさきが見える部分で

第三者には分かりやすく判断されるが


鶏が先か卵が先か

ホントの最初はどこなのかは分かり難い

火のないところに煙はたたない

どちらかが一方的に ということは

よほど特殊なケースでない限り…と思う








雑感として思い浮かんだこと

自分用にメモとなります。


いろんな解釈がありますし

いろんな都合がありますので

どうこうはありません



ただ、いえることは


戦争はない方がよい

あの悲劇は再び起こさせない方がよい

お互いの違いをみとめ 協力できる関係がよい


さすがに雑感 

いつもの通り、まとまりなく、



さてさて、今日も、やりますかな


ではでは👋





コヤッキースタジオ





「終戦の詔書」の現代語訳
(BuzzFeed Japan編集部)

私は世界情勢と我が国の現状を深く考えた上で、非常の手立てをもって事態を収拾したいと思うようになり、ここで私の忠義で善良な国民に告げます。

アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国による共同宣言(※ポツダム宣言のこと)を受諾する旨を、私は日本政府から4カ国に通告させました。

そもそも日本国民が平穏な生活を送って、世界の国々と共に栄えるようにすることは、歴代天皇が残してきた手本であり、私の念願でした。

以前、アメリカとイギリスの2カ国に宣戦布告した理由も、我が国が自らの力で存続することと、アジアの安定を願ったからです。

他国の主権を排除して、領土を侵害するようなことは、もとより私の意志ではありません。

しかし、この戦争が始まってからすでに4年が経過しました。その間、陸海将兵は各所で勇戦奮闘し、役人たちもそれぞれの職務に励み、また1億人の国民も各職域で奉公してきました。

このように各自が最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも私たちに有利に展開したとはいえず、世界の情勢もまた私たちに不利になっています。

これに加えて、敵は新たに残虐な爆弾(※原子爆弾のこと)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷しました。その惨害はどこまで広がるか計り知れません。戦争を継続すれば、我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊されるでしょう。そうなれば、私はどうやって我が子に等しい国民を保護し、歴代天皇の神霊にお詫びできるでしょうか。これこそが、私が日本政府に共同宣言を受諾するようにさせた理由です。

私は、これまでアジアの解放に向けて我が国と協力した友好国たちに遺憾の意を表明しないわけにはいきません。また、我が国民のうち戦死や殉職するなど不幸な運命で亡くなった人々や、その遺族に思いをはせると身が引き裂かれるような思いです。さらに戦場で負傷したり、災禍に遭ったり、家業をなくしたりした人々の生活を豊かにすることを考えると、私の心は深く痛みます。

思えば今後、我が国が受けるであろう苦難は尋常なものではないでしょう。私は国民の心中もよくわかります。しかし、情勢の移り変わりはやむを得ないことなので、私は耐えられないようなことも耐えて、我慢できないようなことも我慢して、将来のために平和を実現しようと思います。

私はここに国家体制を維持することができ、忠義で善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります。もし、感情の激するままに争い事をしたり、同胞同士が互いに相手をけなし、陥れたりして、時局を混乱させ、そのために道を誤り、世界の信頼を失うようになれば、それは、私が最も戒めるところです。

挙国一致してこの国を子孫に伝え、我が国の不滅を固く信じ、国家の再建と繁栄への重い任務と遠い道のりを心に刻み、全ての力を将来の建設に傾け、道義心を向上させ、志を強固にして、我が国の美点を発揮し、世界の進歩に遅れないように努力しなければなりません。

あなた方国民は、私の思いをよく理解し、それに従って行動してください。