もはや、戦争だな。
今でこそ、スピリチュアルという言葉がありますが。
昔でいうなら、「宗教戦争」です。
人は、目に見えないものや思想を掲げ、
自分こそが正しいと、反発する勢力に対して武器を手にしてきた。
これは、人類の歴史と共に常にある。
だから、しょうがないといえば、しょうがないのかもしれない。
私がこのブログを書くうえでのモットーは、
「たたかわない」こと
「あらそわない」こと
「ジャッジ」しないこと
右でも、左でも、上でも、下でもなく、
どこへでもいけるところ
どうとでもなるところ
それは、すべてが在るところ
スピリチュアルという言葉が口から出る人に多いなと感じるのが、
それを知らない、もしくは否定している人を、どこか軽蔑していたり、
その人よりも自分の方が知識や経験があることを示そうとする(しているように見える)
そして、目の前の人は、鏡だという。
相手の欠点は自分だと。
だから、
「この人随分知ったように言うなぁ」
「なんだか、上から目線だなぁ」と感じても、
「あ、これが鏡ということか。私自身がそうだと言いたい、・・・のか?」
と、変な気分になる。
私はこういう経験を何度もしてきました。
最近はこういうことを 「マウンティング」 と呼ぶそうですね。
山の上に立って、人を見下ろして物を言う、ってことなのかな?
そしてやっぱり感じることは、
「自分が一番正しい」
と、無言の圧力でもって伝えてくる。
(はっきりそう言う人も居る)
自信たっぷりな人は、
断定的な物言いだったり、
それこそ、ちょっと経験があって勘も働くような人だったら、
図星なことを言い当ててきたり。
「そうでしょ?」
とね。。。
それが面白いのか、おせっかいなのか、
こちらが聞いていなくても、言ってきたりする。
いや、そうなんだけどね。
でも、あなたに関係ないよね。
実は今日も、そんな風な人に出会ってきまして。
もちろん、みんな自由ですから。
いいと思うんですよ。好きに生きてね。
でも、「○○はこうだから」
とか、
私が「そうは思わないなぁ」ということに対しても、
「こうなのよ」
と、表現がとっても断定的。
断言してこられると、話づらい。
同じ時間を共有しづらい。
ひどいときは、私の考えたことを否定してきます。
遠慮なく。
それさえもその人の自由だと私は思っている。
ただ、私は自分が否定されると(誰でもそうだと思いますが)
居心地が悪いし、時には傷つくし。
今の私に必要なメッセージか時間か知らないけど、
とにかく不愉快だわと思ってしまう。
これで、私がこの「不愉快」な気持ちを攻撃という形で反撃に出ると、
それは立派な戦争だ。
そう、古今東西、人はこうやって、
戦争を繰り返してきたのだな。
なぜか、そんなところに終着点を見つけてしまい、
自分を落ち着かせる意味でブログの記事に書いています。
スピリチュアルって、その人自身のものであっていいと思う。
スピリチュアルなことを、お商売(占いとかリーディングとか)している人がいますが、
自分の考えと違うことを言われた、とか
否定されて不愉快だと思ったらそれきりにすればいいし。
同じ世界感だと感じたら、いくらでもお金を払って見てもらえばいいだけだし。
そうやって自分の弱さを誤魔化そうが、
それに気づこうが、気づくまいが。
もしくは、その過程を経て、
本当に、自分が素晴らしい存在として気づいていこうが。
ああ、ほんと、私には関係がなくて。
もう、とにかく。
誰かより上も下も、ないと思っているしね。
何かに誰かより先に気づいた人っていると思うけど、
それが偉くて、そうでない人が劣っているとか
もはやそうやって、
常に優劣をつけてしまう価値観の世界は終わっていると思いたい。
せっかくその人が気づいた世界、
行き着いた世界。
見下ししたり、否定したり。
そんなことやめようよ。
って、自分のブログだから言ってしまう。
やってはいけない、とは言わない。
でも、私は関わりたくないでーす。
その人のスピリチュアルは、その人のもの。
共感するもの、共鳴するものを大切にしていきたいと思っています。
共感できることについて、
素直に「私もそう思う」と表現して、お互いを認め合いたい。
世の中に今、必要なことは、
調和だったり、尊重だったり、融合することだったり。
尊び、和を結ぶ気持ちだと思う。
否定してくんな。
とも、言えない・・・汗
何度も言うけど、その人のしたいこと(相手を批判するとか)を奪う権利は私には無い・・・
だけど、もっともっと
平和な世界は築けるはずなんだ。
私がなぜ、マザー・テレサに興味を持ったかって、
マザー・テレサは
「私は反戦デモには参加しません。でも、平和を訴えるデモには参加します」
って言った(らしい)から。
反戦デモに参加する
→戦争というエネルギーを否定するだけ
平和を訴えるデモに参加する
→平和が大切だと感じています、という自己表現
世界は二極化して見えますけど、
でも本当は、融合してこその二極だと信じています。
融合へ向かうために、二極があるのだと。
本当は、どちらも大切であると。
善も。悪でさえも。
ただ、どちらかに所属するとか、
どちらが大切で正しいかを議論して、
反対の意見を批判する、といったように
一方のみにエネルギーを傾ける限り、
それは偏っていて、均等というものは訪れない。
物事は、良い悪いで表現するのではなくて、
「私はこう感じている」 という言葉で表現できると、
事は平和に進んでいくと思います。
せめて私は、そうありたい、そう在るぞ。
っていう宣言を改めてしたくなった、今日の記事は日記。