HSP(Highly Sensitive Person) という言葉をご存知でしょうか。
おそらく最近になって広まりつつある言葉ではないかと思うのですが…。
HSPとは、「生まれつき非常に感受性が強く、繊細な気質を持った人」という意味なのだそうです。
私の場合は、長男が発達障害であると分かった2年ほど前。
発達障害について調べているときに、
「あぁ自分も、もしかしたら発達障害なのかもしれない」
と、まず行き当たり、そこから更に調べていくうちにやがて、
「HSP」という言葉に出会いました。
自分はこれだ!
と、思いました。
「発達障害」という言葉は意味が広すぎて、今では「グレーゾーン」なんて表現したりもしますね。
つまり、断定できない、そうかも、といったあやふやに該当する人もたくさんいるということ。
私はそこのあたりかな、と思っていましたが、HSPのチェックリストに8~9割以上該当するので、HSPで間違いないと思っています。
「自分は発達障害だった、と分かったら、なんだか気持ちが軽くなった」
大人になってから、アスペルガーだったり、自分がADHDであることを知った人の言葉として時々目にしていたのですが、私も「HSP」が該当すると分かったときは、同じような気持ちでした。
育った環境のせい?とか、
自分は変わり者なのか?とか、
果ては、自分は「社会不適合者なのか」と激しく落ち込んだ時期もありましたから…。
この言葉が広まることで、私のような生きづらさを感じている人が、自分を深く認識し受容できるようになればいいなと思います。
HSPの特徴なのかどうか、正確には分かりませんが、独身だった頃のこんなエピソードがあります。
大阪で会社勤めをしていた当時、通勤には地下鉄を利用していました。
地下鉄は、時刻表を見なくても次々と電車が来るので、乗り合わせる人の顔を覚える、ということがあまりありません。
ただ、朝の出勤時だけは、地下鉄に乗り換えるまでに利用している私鉄がきっちり同じ時間に到着するため、地下鉄もほぼ決まった時間の電車に乗っていました。
地下鉄の乗り換え駅に着くとすぐにホームに入ってくる電車に乗っていたため、車両も、入るドアも、いつも同じでした。
あるとき、ふと、既に前の駅から乗っていた男性と目が合いました。
スーツを着た、サラリーマン風の若い男の人でした。
それが何度か続き、やがて顔を覚えるようになりました。
目が合わなくても、こちらが気づくこともあって
「最近、よく見かけるなー」
くらいに思っていました。
そんなある日、私鉄の電車の到着が遅れ、いつもの地下鉄に乗り遅れそうになったことがありました。
めったに走って飛び乗るようなことはなかったのですが、その日は今にも閉まりそうなドアに滑り込みました。
その様子の自分が少し目立ってしまった気がしたので、私は恥ずかしくて車内の方を見ることができず、立ったままドアの方を向き、地下鉄の真っ暗なガラスの景色をうつむきがちに眺めていたのですが。
「またお会いしましたね」
そのとき、ふいに、そんな言葉が頭に飛び込んできたのです。
肉声ではなかったことは、自分でも分かっていました。
でも、そんな風に背後から急に声をかけられた気がして、ハッと顔をあげて、思わず後ろを振り返ると、いつも乗り合わせるその男性がこちらを見ていたのです。
当時は、自分は出身高校も女子高で、その後も短期大学を出て、女の子ばかりの環境に長くいたせいで「男性恐怖症」だと思い込んでいました。
チカンされたわけでもなく、ましてや、実際に声をかけられたわけでもないのに、たったそれだけでなんだか怖くなってしまい、その日を境に乗る電車の時間を変えてしまったというエピソードです![]()
その時は自分でも「自意識過剰すぎる
」と思っていました。
あと、「心配性すぎる
」とも。
でも、今となっては、あれは直感だったと思うのです。
そして、おそらくそれは「それほど危険なものではない(悪意がない)」ということも、当時から分かっていました。
私が、「シャイ過ぎた」のです・・・
あと、大きな音には昔から本当に敏感で。
体調が悪いときに身近でドアが大きな音を立てて突然閉まったりすると、驚き過ぎて全身が痛くなる、ということもよく経験しました。
アメリカを旅行した際に出会った友人からは、私がしょっちゅう大きな音にびっくりするので、
「Jumping Girl だね!
」と冷やかされていました。
うんうん、色々当てはまっている…
改めてチェック項目を見ていても、頷きが止まりません![]()
40を過ぎて、色々人生経験もできて、だいぶ肝も据わってきたわ、なんて思っていましたが。
「人の死」とか、未だにびっくりするくらいダメージを受けます。
面識がなくても、共感できる人の突然の死だと立ち直るのが難しくなります。
戦争ドラマや映画、絶対に泣くのが分かっている作品は、昔から基本的に「あえて」観ません。
引きずって立ち直るのが大変になるからです…。
展開がハラハラするドラマや番組も苦手で、そのせいか十代後半頃になるとテレビはほとんど観なくなりました。
若い頃に比べれば、最近は相手の心の声が入ってくることは少なくなってきたと思っていましたが…。
最近だと、LINEの文面を読んでいるときに、相手の心の声が肉声のようになって頭に飛び込んできたりします。
それはたいてい、良くないことだったりするので、そういうときはとてもしんどいです
。
今回、こんなことをブログに書こうと思ったのも、最近そんなことを久しぶりに経験したから。
ちょっと、自分という人間を客観的に整理して落ち着かせようと思いましてね。
そういえば社会に出たての頃についたあだ名は「ポエミー」。
詩を書いていそうだから、という理由。
学生の頃に私のことを表現した友人は
「木陰の下で本を読みながら、小鳥とお話していそう」
と、言われたものでした。
どこかフワフワとしていたのかもしれませんが。
どうにかこうにか、地に足つけて歩こうと、今もひたすらに頑張っています![]()
