今日は私の個人的な嗜好の話になります。

(いや、基本的にいつもそうなんだけど)

 

 

スピリチュアル戦争を終わらせる。

これは、あくまでも自分の中での話。

 

 

何も戦っているわけじゃないんですが。

あえていうなら、

私の中の古い思念を切り捨てて行くための、戰いのようなもの、かもしれません。

 

 

 

私は自分のことを、れっきとした「スピ女」だと思っています。

そうね、あまり詳しくは書かないけれど、ざっと20年はスピ系の本を読み漁ってきました。

 

 

 

わりと前に、ネットで「スピ女ウザい」というキーワードを見つけました。

 

 

そこから引っ付いて、出るわ出るわ。

世間ではスピ女がいかに嫌われているのか。

 


 

けれども、ヒットした「スピ女ウザい」ワードに引っかかってきた数々の「苦情」は、どれも納得が行くものばかり。

 

 

ざっと書き上げて行くと。

 

 

・やたら方角を気にし、それを人に押し付ける

・波動が高いとか低いだとかを常に気にしている

・あなた(私)の前世を語り出し、それ今関係ある?な空気を作り出す

・聞いてもいないことを、勝手にリーディング?して喋りたがる

・自分の気付きを、悟りでも開いたかのように人に話したがる

 

 

何度も言うようですが、私はスピ女であると自負します。

が、上に書き上げたようなことは、私が本当に「嫌いだ」とするところ。

 

つまり、押し付けがましく、

余計なお世話で、おせっかいだったりする。

あと、物の言い方とか表現がどことなく上から目線。

 

更には、苦痛を乗り越えた体験や、そこで得た気づきを語ることが、本当に人のためになると思っている。本当にそういう場合もあるから厄介なのだけど、人から共感されたり同意されたりしようものなら、承認欲求が満たされてしまう。

心に寂しさを抱えた人、愛されたいと望んでいる人がそのことに気づかないまま、スピを語り出すと、無自覚に承認欲求を満たしにかかってしまうから注意が必要だと思う。

 

 

 

スピリチュアルって、本当はすごくすごく、プライベートなことで。

 

わたしは「イチゴ」が好きです。

 

っていう、好きな食べ物を語るのと同じくらい、

「あ、そう」

なことで。

他人にとっては、どうでもいい話。

 

 

でも、好きなものは好き、で、その人の大切な物として尊重されていいゾーンにあって。

誰にも侵略もされないし、否定されるものでもないし。

でも、誰かに強制できるものでもなくて。

 

 

それを、

「あなたは〇〇だからリンゴが好きなはず」

とか

「メロンを好きになりなさい。その方が運気が良くなる」

 

と、言われても困る。

 

 

そして、なぜ「イチゴ」が好きになったかを

誰かに熱く語りたくなっても。

こんなに美味しい「イチゴ」を、みんなも食べたらいいのに、と思っても。

「イチゴは美味しいんだよ」のプレゼンはしても、

だから「イチゴを食べましょう」のクロージングまではやっちゃいけないと思う。

そこまでしてしまうから、反発が生まれる。→それはもはや戦争

 

 

 

 

あとね。

 

神様に聞いてきました!

っていう人も、私は苦手だな。

 

「アマテラスからのご神託です」

とか、日本神話に出てくる神様や、神社の主祭神のメッセージです、なんて頭文字。

 

 

神様があなたなんかに個人的にメッセージなんて伝えるわけがない。

っていうんじゃなくて。

むしろ、神様はいつも、個人的にみんなにメッセージをくれてると思う。

そう、それってつまりは、「あたりまえ」くらいに思ってる。

 

 

特別感度の良い受信機のようなものをお持ちで、

広く人々に伝えよ、と神さまに言われたと思ってるのかもしれないけど。

神様はいつも、大勢の人にメッセージをくれてるからね。

受け取りかたが人それぞれなだけ。

文章や言葉にできる受け取り方ができる方だけが、「特別」なのでも「正解」なのでもないことを前提として、メッセージを共有してくれる方には好感が持てるし、共感もできる。

 

でもね、本音を書くと。

 

「〇〇ノミコト」からのご神託です、とか。

「宇宙の○○」からのメッセージとか。

特別な存在の方の口を借りてじゃないと、伝えられないのかね。

って最近、ものすごく思うのです。

 

 

ほら、私、すごく批判してる。

これが私の中の戦争なの。

誰も批判したり、判断しない、って決めてしまったから、ややこしいの今。

 

 

 

本当に神様のメッセージかもしれないけど、それを自分の考えとして、自分のメッセージとして伝えたらいいんじゃないの、と。

どうして「ご神託」なんてするんだろう?

そう言わないと、信用してもらえないとか?

聞いてもくれない、とか思っているのかな。

根底にそんな自分に対する不信感があるのなら、そんな人のメッセージなんてそもそも信用ならない。

 

 

私自身が、スピリチュアルという言葉を知って、心や魂についての本を20年以上、読んだり聞いたりしてきたせいか、

「スピリチュアルって、カテゴライズすること自体が、もしかしてもう古くないですかね?!」

と、最近思うようになってきたんですよ。。。

 

 

スピリチュアルを知った20才の頃は、

「宗教」なんてもう古い。

って、思っていました。

 

 

それから、20年。

 

 

情報化、IT化の発展と共に、昔は言葉や本でしか伝える方法がなかったスピリチュアリズムが、youtubeやブログやSNSを通して、数多くの人達がスピリチュアルを伝えることができるようになりました。

神社に参拝する方も増えたと聞きますし、

人々の精神性とか霊性、知識、情報、

あらゆる面ですごく進んだように思います。

 

 

一方で、「ウザがられる」スピ女。。。

 

スピリチュアルがそれほど、一般的になったという現れでもあるでしょう。

 

 

 

けれど、イチ・スピ女として、この件については残念に思うのです。

 

 

 

だったら、もう。

 

神様がいるのも、メッセージをくれるのも。

 

もう「あたりまえ」として。

 

それを「前提」として。

 

 

自分のメッセージを伝えていったらいいんじゃないでしょうかね?!

 

 

 

 

たとえば、ですよ。

 

個人的には、お笑い芸人キングコングの、「西野亮廣」さん。

 

この人の発信されていること、行動されていること。

 

100%正しいとか言いませんけど。

(本当にもう、正しいとかはどうでもいい)

 

 

ご自分の中の神様の声をそのまま、体現されて生きているような方だなと思って、見ています。

 

 

 

人って、本当はそういう人に惹かれるんじゃないでしょうか。

揺れ動かされ、ムーブメントが起こっていくような気がしています。

 

 

 

もう、次の時代が、とっくに始まっているような気がするんです。

 

 

 

 

それはね。

 

 

 

 

神様とか宇宙とか、

別物の存在の声を降ろされても、

(個人的にはまだそれを面白いとは思っているけど)

 

響かない。

 

 

 

自らが。

謙虚に自分を「神」だと敬い、自分の声を聴き、

自分を体現して、メッセージを伝えて行ける人が、世の中を動かして行く。

 

 

癒やしも、安らぎも、そろそろいらないんじゃないかしら。

 

 

 

癒しも安らぎも、

皆んなちゃんと、自分の中に見つけられるように、なっていくよ。

 

そうしないと、いつまでも心を誰かに侵略されてしまうからね。

 

 

 

みんなが自由に、堂々と自分を語り、自分を愛せる時代だよ。

 

 

「令」は、命ずる。律する。

 

 命(自分)を律し、和(調和)を結ぶ。

 

 

一人一人が神であるとして自分に気づき(スピリチュアルな時代)、

そこを抜けて今、

神々(我々)が、自律する(自分を律して生きる)ことで、和合する。

 

 

 

令和の新時代がもう、始まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って、すごくすごく、思うんですよね。。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のは、ほんとにほんとに。

ただのひとりごと。