マスク不要論者、っていうのかな。

 

今のこのコロナ禍のなか、

あえて「ノーマスク」を貫こうとする人、いるじゃないですか。

 

 

その人達に文句を言いたいわけではないのです。

みな、人それぞれの考えがあると思うから…。

 

ただ、同じように、私にもそのことについてある考えがありまして。ちょっと残しておきたいなと思ったので書いてみようと思います。

 

 

 

今回の新型コロナについては、

政府の対応や、世間の動きに、私も不思議に思うところはたくさんある。

 

未知なものであるがゆえに、

誰も納得のいく説明も対処もできず、そんな不可解な気持ちにさせられるのだろうと解釈しています。

 

 

 

だからこそ、

私はマスクを外すことができない。

 

 

 

例えば、車の運転をしているときに。

信号のついていない、見通しのよい交差点にさしかかったとき。

一旦停止のラインが引かれていたり、

標識が立っていたら、

よほど急いでいる時でない限り、

(↑いや、本当は絶対に停止しないといけないんですけどあせる

私は一旦停止をしてから、交差点に入ります。

 

 

明らかに他に車の存在が無く、

安全と思えるような状況であったとしても、

死角で遊んでいる子どもの姿があるかもしれないし、

ふいに動物が飛び込んでくるかもしれない。

あとは、

交通安全期間とかだと、

見えないところで、警察官が見張っていたりもする。

とにかく、何が起こるか分からない。

 

 

つまり、「予測できない」ことに対しては、

できる限りの最善を尽くしたいと思っているタイプです。

 

 

 

マスクも、これに近い感覚なのです。

 

 

 

「大丈夫なんじゃないの?」

「マスクでウイルスなんて防げないでしょ?」

「そもそもコロナってただの風邪でしょ?」

 

 

そんな声も聞こえてきますが、

誰もそのことを証明することができない。

陰謀論者が、「人類を操作するための計画」だとか、

「何らかの闇組織を吊るしあげるための手段」だと

ささやいている記事も目にしたことがあります。

 

 

でも、やはりそれを事実だと決定づけることは誰にもできず、推測の域を超えない。

 

 

季節性インフルエンザでも、コロナ以上に毎年死者が出てるとか。

交通事故や餅をのどに詰まらせて死ぬ人の方がよっぽど多いとか。

 

 

どうして、「数字」で物事を判断しようとするのか、不思議になります。

 

 

確かに、死亡する「確率」が高いものは、怖い。

 

 

だけど、

「未知」であるもの、

「予測できないもの」

に対しては、

人ってもっと「怖い」と感じるものだと思うのです。

 

 

交通事故も、餅も、

下手をしたら死ぬことがあることは、

みんな分かっている。

 

 

でも、コロナは

自分がかかったらどうなるのか、

誰も知らないし、教えてもくれない。

 

 

無症状かもしれないし、

軽症かもしれない。

でも、ひょっとすると、肺炎になって重症化する「かも」しれない。

死ぬこともありえるの「かも」しれない。

そして、

無症状だった場合でも、自分がウイルスの運び屋となって免疫の弱い小さな子や、持病持ちの方や、高齢者の元に届けてしまう「かも」しれない。

 

(↑これこそが洗脳だとか、

マスコミがそう信じ込ませているだけだと言う人すら、います。

でも、そうであることを証明することも、できないわけで…)

 

 

 

「自分が死ぬ確率」とかじゃなくて。

車に乗らなくても、餅を食べなくても、

死んでしまう、死なせてしまう。

 

 

この、今まで出会ったこともない、

「かもしれない」が、怖いのです。

 

 

マスクはもしかしたら、

「無意味な」ことなのかも?しれませんが、

今、マスクを身に着けて町を歩くことで、

感染を恐れる人達が少しでも、安心して買い物に出られるのなら。

 

私は、できる限り身体の負担(今なら熱中症など)に気を配りながら、マスクを着用していこうと決めています。

 

 

それは、誰もいない交差点で、

静かに、一旦停止をして交差点に入っていくように。

 

 

それから。

 

 

人っていうのは、洗脳されやすいし、

それが心の奥底で分かっているからか、洗脳されることにも、恐れを抱いていると思う。

 

 

みんながみんな、一様に同じことをし始めると、

自分も「右に倣え」とばかりに従うことに対して、無意識に恐怖なり違和感を覚えるとしたら、それも自然なことだと思います。

 

 

そういう人が反対勢力となって、

あえて均一が取れる世界も、私は存在すると思っている。

 

 

だから、一定数そういう人が存在してしまうことも、

これは仕方のないことであり、自然なことだと…。

 

 

何が言いたいのかというと、

やはり、「戦ってもしょうがないのだ」と。

 

 

過去にも書きましたが、

「コロナに負けない!」

などと言う人がいますが、

コロナはただそこに浮遊しているだけで、

人々が戦っている相手は、

コロナに対して対処する方法が自分とは違うと感じる人達だし、「コロナに負けない」は、「コロナ」によって招かれた現実に「負けない」という意味。

 

 

 

 

「なぜ、マスクをつけないの?!」

「みんなが自粛しているときに、他府県から移動ってどういうこと?!」

 

↑こういうのは、気持ちは分かるのですが、

警察でもない、ただの通行人から、

「さっき、一旦停止せずに交差点に進入したでしょう!」

って非難されるようで…。

その行動は、意味がワカラナイ。

(自粛警察、とかいう言葉も出てきましたよね)

 

 

 

自分が信じる正義を振りかざすときって、

何かエネルギーが沸いてくるように感じるのでしょう。

 

 

そのエネルギ—を、自分を幸せにすることに使えると、

きっと世の中は、コロナが蔓延していても平和だと思う。

 

 

周りがこうだから、自分が幸せになれないのではなくて。

自分勝手な人が多くて、

マスクはつけませーん、なんて主張して、

群がって遊ぶ若者達のせいで、

不安で幸せになれないのではなくて。笑

 

 

 

ルールや正義は、

ふりかざすものじゃない。

 

人々が、戦わず、衝突もせず、穏やかに事が進んでいく世界を作るために、存在しているものじゃないのかな。

そして、それを信じる人が、静かに粛々と、淡々と行う行為が広がって、いつのまにか「ルール」だったり「マナー」と呼ばれるようになったのだと。

 

 

 

 

誰かに会うとき、

人がいる場所に出ていくとき、

今このとき、

「マスク」は唯一、

人々が見いだせた「安心」のシンボルマークのような物なのだとしたなら、私は、自分が辛くならない限りは、マスクを付けていきたいと思います。

 

 

こんなに訳の分からない現実が次々と起こっている時だからこそ。

 

 

 

「マスク」が優しさの象徴だったのなら。

そんな風に思えたら、世界はたとえコロナに侵食されても、幸せに思えてくる。

 

 

 

 




家族のために作った手作りマスク。

まだまだ、沢山作っています。

マスク作るの、ほんとに楽しい♪照れ