随分と前の日記になりますが、

公表しておこうと思います。




先日、何年かぶりに、子ども達を連れて夫の職場の老人福祉施設(デイサービス)に行ってきました。

午後からのイベントの演目で、娘が日舞を、息子がクラリネットの演奏を披露することになっていたからです。




利用者さんの中には、かつて芸妓さんだった方もいらしたと後から聞き、同じく後からそれを聞いた娘も緊張で一気に顔を強張らせていましたが、それも後の祭り。

精一杯、出来る限りを尽くして踊ってくれたので、母としては満足でした。




芸妓さんだったおばあさんは、娘の舞を見てどう思われたかしら?と、確かに気にはなりましたが、夫にそれを聞くと、


「まぁ、帰る頃には覚えてないかもしれないけど。認知症だから」


と言われ、ハッとなりました。





利用されている方全員が認知症なわけではないけれど。

中には重度の方もいて、5分後にはさっきまでの事をきれいに忘れている事もあるのだとか。




楽しかった、とか、面白かった、というような感覚が残ってくれていたら嬉しいけれど、何も記憶が残らない(かもしれない)人たちに、何かの出来事を提供するということに、意味を求めてはいけないのかな。

少し、複雑な思いがしました。






少し時間が経ってから、

もう一度考えてみました。





記憶に残るか、残らないか、より

『今』、心地よい時間、

楽しい時間を提供できるか、

なんだろうな、と。



結局、当初の私は

見返りに近い期待を抱いてしまったようです。


子ども達の演技が、いい思い出として記憶に残ってほしいという、希望を抱いていたのです。




意味を求めてはいけないのかな、

なんて。

おこがましいなぁと、猛省。




どうせ忘れてしまうなら、

何をやっても意味がないのでは、と

うっかり思ってしまったのでしょう。



それでは


良いものを食べようが 

悪いものを食べようが

どうせ全てはウ◯コになるんだから

何食べても同じ


と言っているようなものだ!




身体は栄養を吸収している。

それを知っているから、

今、栄養が身体に入った!

っていう実感は無くても、

自分の身体を大切に思うから、

身体に優しい食べ物を摂ろうとする。





デイサービスのスタッフの皆さんが、

利用者さんを大切に思う気持ちがあるからこそ、日々の時間を少しでも楽しく過ごして頂きたいと。

時間を縫うようにして、イベントの企画や準備を組まれ、忘れられるかもしれないけれど、それでもそのひと時を共に楽しく過ごそうと、提供されているのだと。





サービスに、意味を見い出す必要は、要らない。


そこに『想い』があればいい。


って事かもしれません。






CMみたいにてへぺろ



「そこに愛は、あるんか?」真顔